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My Story 2 - エンターテインする側になりたかった①


前々回のポストの続き、
ダンスや余興に心震わせてた私がたどり着いたものが
どうしてデザインだったのか??

長くなりそうなので何回かに分けて投稿していきます😂

出産したらそれまで心地よかった環境が苦しく…

一人目育休→復職後、元の部署に復職したものの、金融マーケットを扱う部署にいた私。

夜中も動く相場や時差のある海外拠点相手に
朝早く〜夜遅くまで働いたり、「明日の朝までにまとめて!」というレポートを作ったり、出産前まで当たり前にできていた働き方ができなくなった。

当時、夫は激務で朝早く出て深夜に帰る生活、
実家は共に遠方で、ピカピカのワンオペだったんだよね。
(今は、夫も転職して家事育児すごく頑張ってくれてる)

今思うと、シッターさんを頼んだり、遅くまで保育園に預けて頑張る方法もあったのかもしれないけど・・・

天秤にかけたら、子供の気持ちの方を選びたかった私は、部署で初めて時短を取り、それでもギリギリで慣れない毎日を回していた。

ひどい顔だけど、実際こんな気分だった…


金融や調達の仕事は、上司・仲間にも恵まれて楽しかったんだけど、当時動かしていた50億・100億みたいなお金って大きすぎて手触り感がなくて。

ビッグな仕事をしてる!って事に誇りを感じる人もいると思うんだけど、特にママになってからの私は
「私自身は何ができるのか」
が気になるようになって、小さくてもいいから自分で作り出せるものを探したくなっていた。

そういう迷いの中で、
時差を気にしなくて良い仕事に担当が変わり、
仕事の面白さ・やりがいは、ぐっと下がった。

ただ、職場のその配慮がなければ私は潰れていたと思うし、とてもジェントルな職場だったから
(本当にみんな優しくて良い人)、
マミトラと言えど、誰に気持ちをぶつけられるわけでもなく、
「全部、自分自身で選択したことだから」
と言い聞かせて働いてた。

部署を変えてみた

その後、部署異動して業務量はすさまじいけど自分でスケジュールしやすい仕事に。

定期の残業デーを作れるようになって、
「とりあえずここで今の私ができる限りをやってみよう。」
と気を取り直した。

古い体質の部署だったので、根強く残っていたアナログ作業を自動化・仕組み化したり
(ガンだった偉い人を懐柔w)
関係部署を調整して新しい企画を実行してみたり。

自分でも本当に良く働いたと思う…
(ただし、ランチもトイレも行けない、という日々がデフォルトだったけどw)

仕組み化によって職場のミスも激減すると、鬱屈としてた職場の雰囲気も良くなった。

「ずっと変わらなかったことが変わった。
 本当に来てくれて良かった!」

って上司に言われて、ママになって失った自信が、少し取り戻せた。

と同時に、会社員としての自分に区切りもついた感覚があった。

そして、2人目を授かったとき。

仕事と家族の事だけ考えて忙しすぎる毎日をリセットして、次の育休期間に、本気で自分自身と向き合おう。

と心に決めた。

私は何がやりたいのか?
どんな人生を生きたいのか?


次回につづく

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