コントは終わった

先日、法善寺の『夫婦善哉』のお店を見たら元夫を思い出したので、元夫について書く。
わたしの元夫は東京NSC卒でお笑い芸人をしていた。
(戸籍上ではまだ夫婦なのだが、アッチは東京に住んでいて私は大阪、と別棲みだし、1日2回の「おはよう」「おやすみ」の生存確認のLINE以外は連絡もしないから、元夫と言ってしまう。)
 
約2年の結婚生活を思い出すと、あれは「結婚」という名の長編コントだったのではないかと思ってしまう。
わたしは彼といたとき、関西弁なんて喋ってなかった。
彼だって、九州出身だったのにズッと標準語を喋っていた。
九州の男と関西の女が東京で出会って、その共通言語が標準語だったというわけだ。
私も彼も何のよどみもなく綺麗な標準語で喋っていたけど(いまの自分からすると笑っちゃうが)、お互いホントの言葉で喋らないことも、溝が深まる一因だったのかもしれない。
関西弁でしかできない、とっぷりとした押したり引いたりのコミュニケーションってあるもの。
 
元夫との暮らしはやがて戦乱状態となったが、最初の頃は楽しかった。
別棲みし始めてからは少しその楽しみがよみがえったようだった。
東京でわたしが遊びに行ったときなど、初めてデートしたころの気持ちを思い出した。
美術館に行って、ほぼ貸し切りの状態のそこで小さな声で感想を話し合いながらじっくり絵を見、図録を買ってもらったりして「あぁ、こんな楽しみを一緒にいたときにもっと見つけていれば良かったんだ」なんて思ったりした。
しかし、それも非日常だから良いもので、その旅行中だって終盤になるとやっぱり喧嘩した。
ホテルの部屋に寄った夫に「やっぱり離婚したほうがいいのよ。そっちのほうが自然だよ。今のままなんて、結婚してる意味もないわ」というと夫は苦しそうに泣いた。私はなんの感傷もなく、それを眺めていた。
法善寺の『夫婦善哉』が出てくる織田作之助の小説『夫婦善哉』は、色んな山を乗り越えた夫婦が「やっぱり、ひとりよりふたりが良いものだ」という結論に至って仲良く善哉を啜るのだが、私にとっての私たちはそうではなかった。
ひとりで暮らす大阪の楽しさを知りすぎてしまったのだ。
 
翌日、その旅行の最終日は、おそばを食べにいくことになっていた。
夫がお勧めしてくれていた、新宿のおいしいおそばである。
夫も私も1食1食を非常にだいじにしているから、とても楽しみだった。
待ち合わせ場所に現れた夫は昨日から泣き続けていたのではないかというようなしょぼくれ具合だった。
とくに話をすることもなくおそば屋さんに直行して、わたしはお腹がぺこぺこだったから中サイズのおそばを注文した。夫はふるえた声で小さいおそばを注文した。
おしぼりで手を拭きながら、自然にこぼれてくる涙を止めようともしないようだった。
「ねえ、ごめんね。でも、小さいので足りるの?」と言うと、
「食欲がないから、小さいのも全部食べられるか分からない」と言った。
せっかく楽しみにしてたおそばだったのに。
おそばが登場し、ずるずると啜る私に対して夫はつっかえつっかえ、やっと胸に入れ込んでいるという感じで、泣き顔を見てもなんとも思わなかったのに、その姿を見て初めてあわれだと思った。
そして言ってしまったのだ、「離婚の話は、やっぱりもう少し考え直そうか」と。
別れを決意したときはもう一緒にゴハンを食いにいってはいけない。というのが離婚に際しての私の教訓である。
 
それはそうと私は夫がどんなネタをやっているのか知らない。
夫のやるお笑い、ひいては東京のお笑いに興味がなかったから。
夫が今のわたしを見たらどう思うだろう?
一緒にいるときにネタ番組だって見たことがなかったのに、夫より期の若い(期の若い、というところがより一層わるい気がする)コンビに夢中になってるのだから。
もうこれは浮気より性質がわるいような気がする。
だってアタマの中が好きっていうことなんだもの。
漫才劇場の香盤表で夫と仲が良かった人がいるコンビの名前を見かけたりするとヒャッとなる。
そうやって無駄にビクビクとしないでいいように、早く離婚したいところである。
 
別棲みしてから、夫が大喜利のなにかで優勝してAmazonのギフト券を貰い、フライパン一式を買いそろえて送ってくれたことがある。
『夫婦善哉』では、旦那が素人浄瑠璃の大会で入賞した景品の座布団を嫁が使い続けました、とあるが、ちょっと現代版のそれみたいやな、と思って面白かった。
離婚してもフライパンは使い続けるだろう。
 

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