マニマニ

三児の母

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三児の母

最近の記事

今となってはお恥ずかしい限りです

今月、誕生日を迎えました。 記念に、過去の(ちょっと恥ずかしかった頃の)私について話そうと思います。 思い返せば割とクレイジーな人生を歩んできました。 一方で、ライフイベントに関しては非常に普遍的なペースで歩んできているなとも思ったりもします。 真面目だね、気遣い屋だねと言われることが多い反面 変わり者、私にはできないと言われることもあります。 私はこの自分自身の、 型にはまりきっているわけでもない けれど型破りでもない どっちつかずな人生を、私自身を 現在もなお、あま

    • 虹は何色か

      私は認知というテーマが大大大好きなんですが  今日は視覚、とりわけ色に関する認知のコバナシです。 虹の色 大学のとき、文化人類学の講義がとても面白くて大好きでした。 そんな講義の中で特に印象深かったお話です。 虹の色というと、私たちは7色の色を思い浮かべると思います。虹を見ればその7色を実際に見つけることができます。 ところが、とある民族に虹の色の話をすると「これが7色だって?そんなわけないだろ」とびっくりされたそうです。 「虹はどうみたって3色だよ」と。 ネッ

      • 10年経ってもなくならないもの

        不動産の営業マンを辞めて10年が経ちました。 勤務年数の3倍以上の月日が経ったと思うと そりゃあ最近腰も痛いし疲れも取れなくなるはずだわ… "ぶつあげ" さて、不動産業界には物上げ(ブツあげ)という業務があります。 簡単に言うと物件の仕入れ業務のことです。 私が入社した会社では、新人時代にまず物上げを徹底的にやらされます。 ノルマの棟数を達成するとやっとカウンター業務につかせてもらえます。 その物上げを先輩から教えてもらっている時のことです。 住宅地を車でぐるぐる回

        • こころの贈与論

          こんばんは。マニマニです。 大学時代、私は哲学を専攻していました。 そのゼミの1つ上の先輩が取り上げていた贈与論の話をしたいと思います。 マルセル・モースの贈与論 この本は社会制度における贈与の役割について、 当時西洋が貨幣経済になったことをちょっとディスってるような、憂いているような まあなんかとりあえずそんなことを"贈与の義務" なんていうちょっと強めな言い方で論じている、古(いにしえ)の有名な一冊です。 (お詳しい方、こんな雑すぎる説明でごめんなさい) さて、モ

        今となってはお恥ずかしい限りです

          3日坊主にすらなれない

          自己紹介から4年が経ちました。 書いては消し 書いては消し 書いては消し それくらい繰り返したあたりで、2020年の私、アウトプットを諦めてしまったようです。 記事の順番や起承転結にこだわりすぎて頓挫する。 なんとも私らしい。 子供達もすっかり大きくなりました。 トップの絵は夏頃に娘が描いてくれた私です。 (さいきん目と口が顔の中に入るようになった) そんな飽き性の私、新しくはじめたこともあれば 4年前と変わらないこともあります。 最近また、ふと、なんか書き出した

          3日坊主にすらなれない

          とりあえずの自己紹介

          まずは簡単に自己紹介を。 平成はじめの生まれ 10代の頃は「平成生まれがとうとう来たよ〜!」と恐れられた世代(同世代の人はきっとわかるはず) 思い返せば我が家は機能不全家族でした。 ※後に機能不全家族ではなく、ヤングケアラーという問題の当事者であることを知りました(2024年) 中3、反抗期の折に父が脳出血により障害者となり 同年母が介護疲れによりパニック障害を発症。 このあたりから、もう家庭で明るく和やかな時間を過ごした記憶はありません。 高校でフィルムカメラ

          とりあえずの自己紹介

          ノートはじめました

          思春期の頃から文を書くのが好きだった。 痛々しいポエムサイトを作ったり、mixiでとんでもなく長文の日記を書いてみたり、ブログも数え切れないほど開設した。 高校から写真を始め、大学では哲学に出会い、 表現に寛容な環境に長く身を投じていたこともあり 随分と長く、自己表現を身近な人へ発信する事を吉として生きてきたと思う。 ところが社会人になったころ 「人はあんまり真面目な話とか暗い話を聞きたがらない」ということにとうとう気付いてしまった。 大人になると沢山の面倒ごと

          ノートはじめました