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月と六文銭・第十七章(03)

3.翌朝の出来事
 The Morning After

 翌日、渡辺と鈴木は朝一から武田のオフィスの前で直立不動で彼の出勤を待っていた。

「おはよう!
 どうしたの?
 何か事故でもあったの?」

 武田は資金事故の心配をしていた。朝早くから自分のオフィスの前に人がいるのは良くない時だけだ。
 二人はピクっとして、挨拶を返した。

「おはようございます!」
「どうぞ、入って」

 武田は二人を招き入れて、座るよう促した。

「研修報告ですか?」
「いえ、昨日のお礼に」
「そうでした、昨日は盛り上がりましたか?」
「はい、あのぅ、出していただいて、ありがとうございました。
 余りましたので…」

 余りました、か。本来は、残りましたので、というべきだが、ここで指摘しても仕方がないだろうな。

「いいよ、君たちの次回の交流の資金に使って」
「すみませんでした、昨日、我々、酒の席とはいえ、部長のこと…」
「酒の席で私のことを何?」
「いえ、すみません、言えません」
「本人に言えないことを他社の人に言っていたということですか?」
「は、申し上げにくいのですが…」
「会社は君たちに運用スキルをレベルアップしてほしいから研修やセミナーに送り出しているので、その辺り、有効に活用してほしいです。
 会社は君たちに期待しているのですから。
 もちろん他社のアナリストとの交流は大切です。
 私も若い頃は他流試合をたくさんしてスキルを磨きました」
「はい、頑張ります」
「ありがとう。
 ちょうどいい、ちょっとお願いがあるのですが」

 二人は目をぱちくりして、次に武田が何を言うのか戦々恐々としていた。

「私がビアトリス・クルシコフと一緒にいたことを内緒にしておいて欲しいのです」
「はぁ」
「一応、私はゲイで貧乳の自称モデルか読者モデルと付き合っていることになっているらしいので、私と彼女が一緒にいたことを黙っていて欲しいのです。
 女優デビューを控えているビアトリスに迷惑が掛かるといけないので」

 二人はちょっと顔色が悪くなった。全部お見通しかよ。これじゃあ、誰も社内で勝てる奴がいるわけがない。

「は、はい、もちろんです」
「ありがとう。
 あれでも、少しは名の知れたモデルなので、お互い独身とはいえ、余計な噂などは良くないので」

 少しどころか、業界じゃ超有名人の部類に入る本当のスーパーモデルだろ!と鈴木は脳内で毒づいた。やっぱりコイツは、ビッグ・ディック=くそ野郎だ、と言いたかった。

「はい!」
「鈴木さんはファッションやアパレルに詳しいよね?」
「はい、担当して2年経ちました」
「ファッション誌にも目を通しているよね?」
「はい、もちろんです」
「ビアトリスのこと、知っていましたか?」
「顔を見て思い出しました」
「そう。
 担当分野の関係者に会ったら、どこで縁があるか分からないので、一応きちんと挨拶することを習慣にするといいですよ。
 業界情報とか、海外取材の時のコネとか、日本での独占取材なんてことに繋がることもあるので」
「はい」
「渡辺さんは初めてでしたか、本物・・のモデルに会うのは?」
「はい、すごくびっくりしました。
 すみません、ボク、あ、私、が部長のことをゲイと言いまして…」
「ほお、それで?
 ゲイの真偽のほどは?」
「分かりません」
「それでは、アナリストとしては失格ですね。
 その場できちんと疑問を解消するようにしないと上には行けませんよ。
 次の機会がないといけないので、必ずその場で疑問を解消するように」
「は、はい」

 どういう意味だ、次がないとは?俺、左遷?アナリスト、クビ?

「君の目からビアトリス・クルシコフは貧乳の自称モデルでしたか?」

 渡辺はチラッと横にいる鈴木を見てから答えた。

「いえ、鈴木さんによると水着のモデルとして有名なスーパーモデルで…」
「貧乳じゃなかった?」
「はい、すみません、本当のモデルに会うのは初めてで、どこを見たらいいのか分かりませんでした」
「まぁ、確かに胸ばかり見ていたら失礼になってしまいますからね、いくら見られ慣れている本職のモデルでも。
 一応、プライベートの時間だったし」
「…」

 二人は暑くもないのに汗をかいていた。

「種を明かすとね、私の交際相手ではないんだ。
 ビアトリスに都内を案内してあげてと知人のモデルに頼まれただけで、浅草とか銀座とか豊洲とか歌舞伎座とかを見せただけだ」

 なんだ、付き合ってないのか、と安心した二人だったが、そこで二人はふと思った。いや、ちょっと待てよ、知人のモデルとは、あのスーパーモデル・ビアトリス・クルシコフの友人なんだよね?親しい仲じゃなかったらお世話を頼まないよね?つまり、やっぱり武田部長はスーパーモデルかそれに近いモデルと付き合っている可能性がなくなったわけじゃないんだ…。
 武田は半分嘘をついた。元々ビアトリスは知り合いで、今回東京のモデルショー『東京コレクション』にゲスト出演するため、来日していた。鈴木は多分ファッション誌で、今回のビアトリスの東京来訪の目的を知ることができるだろう。
 結局、武田が謎の部長、怪しい部長、というのは変わらなかった。ましてや昨日一緒に飲んだ他社のアナリストなんて、インパクト強すぎて、今日は絶対誰かしらには話しているはずだ。

「そういえば、東京コレクション、鈴木さんは見に行くの?」
「はい、そのつもりで、外出許可を取っています」
「そうですか。
 ついでに誰か話を聞きたい人はいますか?
 ま、主催者には会えるでしょうけど、舞台監督とか、特集を組んでいる雑誌の担当者とか?」
「え、会えるのですか?」
「関連アパレル会社の社長とかの方がいいかな、会うなら。
 クリ・ラボとか、ネル・ピケの社長は必ず出席しているらしいからね」
「ぜひ、お願いします」

 鈴木は深々と頭を下げ、卑しくも物欲しそうな眼をして、武田から紹介してもらえるという確約を得たがっていた。

「もし、会場で、ビアトリスに会ったら、昨日の挨拶のお礼をお願いしてもいいですか。
 あの後、"礼儀正しい若者たち"で好印象だったみたいだから、今後も何かの際にコネが使えるようになるかもしれません」

 鈴木は頭をフル回転させて、何ができるのかを考えた。しかし、結局は武田の力なのだと気が付くと、もう武田には頭が上がらないことを自覚した。

 結局、昼休みまでに社内中に武田とスーパーモデルが一緒にいたことが伝わった。しかし、これまでのゴシップと違い、実際に若手が武田がスーパーモデルと一緒にいたこと、名の知れた本当に実在するスーパーモデルであったことから、確たる事実として多くの社員の胸に刻まれた。
 しかも、その若手はその場でスーパーモデル・ビアトリス・クルシコフと握手をしてもらったことも広く伝わり、尊敬の眼差しと嫉妬の睨みがオフィスのあちこちから武田に向けられた。
 ゲイ説は払拭できなかったが、少なくとも武田の知人にスーパーモデルが実在すること、スーパーモデルが本当にスタイルが良く、胸が大きいことも多くの社員に認識された。
 アンチは黙らざるを得ず、密かに憧れている女性は諦めてくれたりして、武田は少し嬉しかった。

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