月と六文銭・第九章(1)
~メトロM線ジャック事件~
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翌日の休暇を控え、武田は定時にオフィスを出た。会社は休むが、彼には別の仕事があった。前の晩に、本部からアサインメントの依頼が来たのだ。
普段、武田はメールで送られてくる「募集要項」を見て、自分のスキルにマッチしていると判断した案件に「応募」する。応募後はその案件の責任者が応募してきた人たちを総合判断して、チームを組成する。
応募しても外されるケースもあるが、これまで武田は仕事を完璧にこなしてきたので、どのチームリーダーも彼が応募するとチームに入れていた。しかも、何度か武田が断った案件の再考を要請する連絡が来たこともあった。成功率が大事な仕事ゆえ、武田の成功率の高さは魅力的だったのである。
事件の背景調査は、ニューヨークに本社がある調査会社「ノース・スター・リサーチ(NSR)」社が実施し、対処法もNSRが検討した推奨案がチームリーダーに送付される。チームリーダーに判断がゆだねられているものの、NSRがコンサルとなってから、ほぼ間違いなくNSRの案が実行されてきた。
今回の事件は、NSRが結果及び影響をアセスメントした結果、「至急かつ徹底すべし」案件とされ、対処実行案を企画立案して、チームリーダーに示してきたのだ。
しかも、今回は珍しくチームメートが「強く推奨(実質は指名)されている指示書が添付されていて、チームリーダー記載されている契約社員に直接連絡を取ることすら求められた。
今回の指示書に、トリガー(狙撃手)はトーキョーのコードネーム(暗号名)「アルテミス」を、サポート要員に同じくトーキョーの「ワーゲンバス」を指定、地上サポートをチームリーダー自身が行うプランとなっていた。狙撃地点は国会議事堂の地下、廃棄された地下鉄駅の引込線、武装はA117SAR(海兵隊用狙撃銃)と指定されていた。
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本部から送られてきたメールには、大きなファイルが3つ添付されていた。
一つ目は上記のような基本要件を記載したもの。二つ目は指名された契約社員向けの役割指示書だった。ターゲット、いつ、どこで、何を使って、何がゴールか。これは契約社員にも同じものが送られていた。三つ目はプランが上手くいかなかった時の対処法であり、チームリーダーと本部とNSRしか内容を知らないものだった。
添付ファイルには東京の地下鉄の路線図、国会議事堂の設計図、狙撃手に支給される銃の仕様、警察関係の連絡先などが記載されていた。
チームリーダー自身は、東京にこんな地下網があるとは思っていなかったため、じっくり図面を眺めながら考えていた。ワーゲンバスにアルテミスのエグジット(脱出)サポートに加え、最終的にはワーゲンバス自身の安全を含め、今回のメンバーが安全に脱出できたことを最後まで見届ける必要があった。
武田宛にチームリーダーから「よろしく」との文言のあるメールに添付されて送られてきたファイルには、今回のターゲットの容貌、いつ、どこで、何(どんな銃)を使って、彼らを阻止するかが細かく書いてあった。何度か「東京の地下に潜った」ことのある武田にしてみたら、半分は既知の情報だった。
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興味を引いたのが、今回の犯人が何を主張したくて犯罪を犯すのかということだった。犯人の行動を阻止することにより予想される政治的影響はどんなものか。武田はこれまでも政治的中立を守ってきたつもりだったが、ターゲットが政治家だった場合、そうも言っていられないため、慎重に対処してきた。
本件の根幹が政権党である民自党を揺るがす内容とあっては、かなり慎重な取り組みが要求される。これまで通り、とにかく自分が何者かを隠し通すこと、つまい、ゴースト(幽霊=存在しない)でいることが大事だった。顔、声、指紋、足形、歩き方など、自分と特定できるようなデータを残さないこと。
また、本案件のキーワード「broken arrow(ブロークンアロー)」について、武田はインターネットで調べられる情報にはすべて目を通した。映画のテーマとなっていたり、西ドイツで起こっていた事件を見聞きしたこともあったが、日本の場合、核は特別重みがあるため、民自党が戦後一貫して守ってきた秘密が露見するのは望ましくないとの判断が一般的だった。
矢とは弓の弾力を利用して発射される武器で、狩猟用の道具を転用或いは初めから戦闘用に用意されたもの。石を上げたりするよりも正確かつ殺傷力が高い。
ブロークンアロー=折れた矢とは、矢が役に立たなくなること、或いは役に立たなくなった矢そのもの。矢は弓を離れたら戻ってこないことから、第二次世界大戦後は、撃ったら戻ってこないミサイルのことを指すこともあったが、折れた矢とは特に核兵器・核ミサイルの事故を指すようになっていた。
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