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月と六文銭・第九章(3)

 日本の対テロ対処方針は、航空機やバスのハイジャックを経て有事への備えと武力による解決が明確化されたが、犯罪者の生命を軽視しない方針は不変だった。
 日本で初めて成功した地下鉄ジャックに対し、警察は犯人の無力化を基本方針として動き出していた…

~メトロM線ハイジャック事件~(3)

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 駅長室には、駅長と保守部主任、警視庁の交渉係の2名と警備部警備課員4名の合計8名がM線の路線図と運行指示書、隠されたトンネルの一部を描かれた工事設計図を広げたテーブルを囲んでいた。

 保守部主任からの説明で、銀座駅から先のM線の動きを把握した警視庁の課員たちは最善策として、突入よりも狙撃による無力化が最善策と回答された。

 警備部のリーダーらしき男性が駅長に告げた。
「本官は警視総監から直々の指示で本件の早期解決を図ります。
 貴社から最大限のご協力をいただきたく、よろしくお願いします」
 これに対し、駅長と主任はそろって頭を下げた。

 警備部のリーダーからは次のような指示が出された。
「駅長、運転手に外務省上を通期する際に、速度を通常の時速35から20まで落とすよう指示をしてください。
 それと運転席の左右の窓を開けておくよう伝えてください」
「分かりましたが、それだけですか?」
「犯人を刺激しないためには、できるだけ普段と変わらない方がいいでしょう。
 あとは我々に任せてください」
「数名のスタッフには伝えて良いでしょうか?」
「最小限にしてください。後々問題になる可能性があります」
「問題に?」
「最悪の場合、ハイジャック犯を狙撃することもあり得ます。
 それを目撃することとなる人が少ない方が良いと考えています。
 もちろん、まずは人質解放の交渉をしますが、既にこの状況では狙撃による無力化が必要と考えておく必要があります」
 駅長が無力化の意味を正しく理解していたかは不明だが、警視庁警備部の課員が全員重武装、映画やテレビで見る軍隊と似た装備を身に付けていることで、武力の行使は避けられないのだろうことは想像できた。
「分かりました。よろしくお願いします」

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 交渉係は車両の運転席の窓から犯人に声を掛けた。
「警視庁の横田です。
 あなたの要求を聞きに来ました。
 人質の女性はかなり血を失っているようだから、解放してもらえないか?」
「警察は来るな。
 今度は腹を刺すぞ」
「分かった。
 待ってくれ」
「早く四ツ谷に向かって動かせ!
 もう1時間以上止まったままだぞ!」
 犯人は緊張を解かず、依然として刃物の切っ先を人質の女性の腹に当てたままだった。
「駅長によるとこのまま電車を走らせるには前を行く電車をかなり先まで動かさないといけないと聞いた。
 今それらの電車を先に行かせているが、詰まっているらしい」
「このM線は引き込み線が一番多いはずだ。各駅で乗客を降ろし、どんどん引込線に入れたら線路は空くはずだ」
 交渉係の隣にいた副駅長がその通りですと犯人の言葉を確認して、交渉係に言った。
「早くしろ!
 脚から血を流してもう1時間が経っているってことを忘れてないか?」
「待ってくれ。
 駅長に列車の状況を確認する」
 交渉係と目が合った副駅長が意を組んで駅長室に向かった。

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 交渉担当の警察官は窓から顔を入れて、ハイジャック犯に話しかけた。
「俺のことは横田と呼んでくれ。
 アンタの名前が分からないと呼びにくいんだが…」
「マシタだ」
「マシタさんだね。どういう字だ?」
「字はどうだっていいだろ!
 どうせ、データベースには載ってないから、調べたって無駄だ」
「マシタさんはどうして地下鉄をジャックしたんだ?
 M線はワンマン運転だからジャックはやりやすいと思ったのか?」
「お前は地下鉄を分かってないな。
 M線は戦前に計画され、工事は戦後に実施されたことになっているが、実際には戦中に官庁街と国会議事堂の地下を結ぶトンネルは完成していた。
 国会の地下にある議員専用駅はもう使われていないが、当時の通路は使えるはずだ」
「で、マシタさんはその国会の下に行きたいわけか?」
「そんなことはお前には関係ない!」

 マシタは入手した地下の図面を基に逃走ルートを考えてあった。国会議事堂の地下にある、今は使用されていな国会議事堂駅まで行き、官庁街に伸びる地下トンネルを抜けて行ったら、警察の追跡をかわせると考えていた。
 霞が関の地下トンネル網の要は国会議事堂地下にある戦時大本営跡だった。ここから伸びる地下トンネル網を利用すれば、国会の下から霞が関の官庁街や虎ノ門地区、新橋、今の汐留まで動くことができるのだ。
 犯人が逃走に成功した場合、今後の地下鉄運営上も課題が残るので、メトロ地下鉄社としてはきちんと解決する必要があるし、警察側も今後模倣犯の発生を防ぐ必要があった。

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 副駅長が戻ってきて、交渉係の警察官を脇に引っ張って駅長からのメッセージを伝えた。
 同時に車内電話が再び鳴って、運転手が受話器を持ち上げ、耳に当てた。
「鈴木君、駅長です。
 発車して大丈夫だ。
 前を行く列車はない。
 運転席周りの窓は全て開けておくよう。
 そして、外務省上のカーブを曲がる時は、分岐が通常の逆方向だから35キロから20キロに速度を落として走るよう。
 脱線したら困るからね」
「分かりました。
 国会議事堂前の手前のLR分岐をRする時は20キロですね。
 窓は左右と車内連絡用は開けてあります」
「よろしく頼む。
 警察の方は人質の命が一番大事だと考えてくれています。
 犯人に受話器を渡してください。
 私から話す」

 運転手は犯人に声を掛け、受話器を渡した。
「銀座駅長です。
 要求は分かりました。
 既に分岐の切り替えを進めています。
 何十年と動かしたことがないので、確実に切り替えられるよう作業しています。
 警察の方にも下がってもらいます。
 国会議事堂の下に着いたら人質と運転手を解放してください」
「ああ、そうするつもりだ」
「もう一度、鈴木運転手に受話器を渡してもらえますか?」
 犯人は何も言わず、受話器を運転手の鈴木に渡した。

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