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月と六文銭・序章

~韓国要人暗殺未遂事件~

 日韓関係が最もよくなかったと記憶されている2010年代、北朝鮮の最高指導者が三代目へと交代し、韓国も初の女性大統領が誕生した。

 2015年9月の国連総会に出席したパク・ジウン大統領は、総会で汎アジア貿易圏の充実をアピールしたものの、東アジア及び環太平洋地域会議では、対北朝鮮強硬政策、韓米日合同軍事協定の強化、韓日貿易協定の緩和を推進すると発表し、自国メディアからの逆風を受けていた。
 米国からの帰路に日本訪問を予定し、公式行事のほかに、大統領自身の母が一時在籍して学んだ東京の安政大学でスピーチをするプランだった。訪日最終日の安政大学のスピーチ後に狙撃事件が発生した。
 大統領に同行していた大統領の出身党・韓国祖国党のチョン幹事長が肩を撃たれ、国際問題へと発展した。互いの警察が協力する体制が構築されたものの、情報連携がうまくいかなかった情報コミュニティは関係停滞期に入ることとなった。
 当時、容疑者は北朝鮮から韓国人として日本に潜入していたスナイパーとされたが、その過程で数人の日本人も捜査線上に浮かんだものの、最終的には本事件には関係ないと結論が出された。

~老刑事の話~

「とまぁ、これが公式の発表だが」と話しながら、警視庁四谷署の老刑事・岡村おかむらは2枚の写真を部下・久保くぼに示して、苦い顔をした。
「お前これが何かわかるか?」
真田さなだ六文銭ろくもんせんじゃないですか?去年の大河ドラマ、見ましたよ。こっちは何ですか?工場か何かですか?」
「お前、生まれてたかな?オメガ真理教という教団の第6サティアンという建物だ。教祖が隠れていた施設で、ここから出てきたところを警視庁に逮捕されたんだ」
「地下鉄サリン事件の、あの教祖の…」
「そうだ、あの教祖だ。隠し部屋へ酸素が行かなくなって出てきたところを確保したが、警視庁の再捜査の朝に出てきたんだ。タイミングが良すぎると俺は思った」
「偶然じゃないと岡さんは言いたいんですか?で、六文銭とどういう関係なんですか?」
「施設の横を通る道のコンクリ塀の上に並んでいたらしいんだ、1文銭が6つ」
「子供のいたずらでしょ。だって場所が山梨県ですよ、真田の地元」
「いつも言ってるが、偶然なんてものはないんだ。偶然に見せかけることができても、原因と結果がすべての中で偶然こうなったと思っちゃいけない」
「はい、いつも耳が痛くなるほど言われていますが…」
「でな、捜査資料で見られる範囲内で俺が気になったのは、事件に関係ないとされた人物の名前だ」
 岡村は手元のリストに黄色いマーカーで塗った名前を久保に見せた。
「こいつだ」
 見せられた久保は一瞬噴き出した。
「いや、冗談でしょ?キンパチ先生ですか?」
「よく見ろ、字が違うだろ。しかも本名なんだよ」
「で、何にかかわっていたんですか?」
「こいつ、暗殺未遂の日、甲府市にいたらしいんだ。いや、それだけじゃない、春のシンガポールでの発電所の爆発あったろ?あの経産省の役人が危うく焼け死にしそうになったやつ?あの時、こいつが現地にいたらしいんだ」
 久保は2枚の写真を見ながら、結論に飛びついてはいけないという岡村の教えを反芻しつつも、確かに偶然で片づけていいのかとも考えていた。
「でも、動機は何ですか?仮に教祖は正義を実行したとしても、シンガポールは日本が進めていたプロジェクトだし、対日強硬派とはいえ、一応関係修復を訴えている韓国の大統領の党の人ですよね?」
「ああ、それで容疑者から外されたんだろ。ただな、アメリカみたいなでかい国なら出張とかたくさんあるだろうけど、シンガポールに偶然同じ時にいたとか、同じ町に偶々いたとか、出来過ぎな気がしないか?」
「で?」
「で、だ。俺はもう定年間近、個人で捜査するには限界があるから、俺の仮説をお前に残しておこうと思ったな」
「はぁ、しかし、この人物はあくまでも個人なんですよね?大丈夫ですか?」
「次に何か起こった時に徹底的に調べたらいい」
 久保は岡村からファイルを受け取り、自分の机の下の段に入れ、机ごと施錠した。

~英国駐在員・武田哲也~

 AGI投資顧問人事部・花田部長の回想:今ではTTティー・ティーとしか呼びようがないのだが、渡英し消息不明となるまでは武田哲也と称していた。大学入学、いや高校入学まで経歴を辿ることが出来る。記録だけなら、小学校も中学も高校も辿ることが出来るが、どうも別人だとの疑惑が警察から提示されても、おかしいことが証明できないところがおかしかった。しかも、海外で犯罪にかかわっているとなると、雇用していた会社としては穏やかではない。
 証拠がなく、警察の話では、たまたま海外で邦人が巻き込まれた事故と同じ時期に同じ場所にいたというもの。それなら偶然で片づけられるだろうが、3つとも政府が出資していた、あるいは出資する予定だったプロジェクトの責任者が“事故”に巻き込まれ、いずれも頓挫していた場所だった。

 1回は確かに当社に勤めてからだった。2年前にシンガポールに出張した時だった。当時は日本政府とシンガポール政府でODA追加の話し合いが進んでいた。役人が視察中にマレーシアからの電力供給も含めた工場団地に於ける半導体工場設立にかかるものだったが、変電所の変圧器火災で、計画が少なくとも2年延期になっていた。結果的に芝浜電器の子会社、日本芝浜半導体が事業計画を見直すこととなり、2年後の先月、破綻した。親会社の芝浜電器も大赤字となっている。
 TTは当社の子会社の従業員に対し、個別インタビューを実施し、給与査定の基礎資料作成のための出張だったのだ。水曜の夕方に現地到着、現地子会社の社員と会食。翌日は朝から夕方までインタビューを実施。夜は現地の知人と現地子会社に出向中の当社社員の3人で会食。金曜はタクシーで空港に向かい、現地11時発、羽田19:10着で日本に戻っていた。式典は確かにこの金曜だが、開始時刻には空港でチェックイン済みで、免税店でお土産を買った時刻と爆発が起こった時刻がほぼ一緒だった。
 それならば、時限発火装置でないと無理だが、それらしき部品は見つかっておらず、直接変電設備に弾丸を撃ち込んでショートさせるなどの方法でないと説明がつかないとされていた。

 警察の話では、TTはニューヨークにいた頃は毎週射撃場に通い、50発をライフルで撃っていたことは分かっている。しかし、スコープなしで的紙に当てるだけで、射撃場のオーナーは東洋人が珍しいから覚えていたものの、特別うまいとも下手とも思わなかったそうだ。
 仮に山の中から狙撃したとしても、当たったかどうか疑わしい上、ホテルから往復して、かつ飛行機の便に間に合うのか、ライフルはどこで調達して、どこに捨てたのか。
 考えれば考えるほど無理だろうとの結論にいきつくのだが、TTなら何とかやり遂げる方法を見つけるだろうと感じている人もいた。

~鳴らない電話~

 TTのマンションの家宅捜索を進めていた刑事は、TTの机の上に置いてあるブラックベリーを手に取った。わずかに振動したからだったが、電話が鳴ったわけではなく、SMSと呼ばれるメッセージが届いたのだった。3桁3桁4桁の電話番号のようだった。917で始まる番号はすぐにニューヨークのものと想像できたが、その時の刑事にはどこからからはすぐには分からなかった。
 普通ならその番号に架けるだろう。事件を追う警察が入手したブラックベリーに送られていた電話番号をメモに取っと後、電話を架けたところ、ジュッという音とともにブラックベリーの回路が焼けて、使えなくなってしまった。別の電話機から架けると「この番号の電話は使われていません」と英語で言われ、切れてしまった。

ブラックベリーQ10

 家宅捜索の結果、何も他にはなかった。システム家具にはおかしなところはなく、ベッドのマットレスは科学捜査班に送られたが、毛髪、皮脂、汗の痕跡すらなかった。つまり、新品が置かれていることになる。若い女性が一時期出入りしていたはずだが、それすら完璧に消しているのは異常だった。若い女性は共犯者?そんな推測もできるが、周囲の聞き込みから普通の女性のようだ、となった。
 TTがロンドンに飛んでから、都合のいいことにAGI社のサーバが2回クラッシュし、その後はほぼ復旧したものの、一部のメールアーカイブが消失していたり、社員の記録が欠損していた。

~シングルマザー・上田陶子~

 捜査陣が割り出したのは4年前に転職して去っていた上田うえだ陶子とうこというシングルマザーだった。今は再婚して林田はやしだとなっている女性は迷惑そうに答えた。

「一時期、武田部長と関係があったのは事実だが、もう別れて数年経っている上、今の夫にどうして警察が来たのか説明が大変」だとして、職場とも自宅とも違う方向にある駅のカフェで警察からの質問を受けた。
 上田は転職時期を挟んで約半年の交際だったと説明した。数学パズルに目がない、若干オタクの気のある“最後の大物独身者”として狙ったことも告白した。転職エージェントを紹介してくれて、うまく転職できた上、今の夫とも出会えたと感謝の気持ちはあったが、気が付けば、彼のことを実は何も知らないことに気づかされていた。
 マンションに出入りしていた女性はもっと若いことは分かっていたし、身長が170センチを超え、モデル顔負けのスタイルを誇る上田と違うのは歴然だった。
 最後に「武田さんは英国に渡って2年ほどで行方不明になっていますが、何か心当たりはありませんか?」という問いに、上田は思い出したように答えた。
「オフィスの机にUCLAの写真がありました。その写真だけでした。直前の米国勤務が7年もあったのに、その写真は一つもなかったと記憶しています。それでは失礼させてもらいたいのですが…」と言って席を立った。

 TTは大学2年の時に米国UCLAに交換留学に行っている。他の学生が夏の2か月ほどのプログラムだったのに対し、TTは12か月、つまり丸一年米国に滞在したのだ。高校の時に数学オリンピックの予選で健闘したことも申請書類に書いたら、数学とコンピュータのアドバンスド・クラスに編入されたのだ。当然UCLAに照会をかけて、記録を取り寄せたが、真面目に授業に出席し、成績も優秀で、大学からそのまま残って勉強することを勧められていた。
 しかし、面白いことに日本の大学での授業も課外活動も一切数学に関係なく、統計数学の講義すら履修していない。統計学の成績も「良」という本来の実力からしたら手抜きも手抜きという有様。高校時代の“数学の鬼”(数学の担当・黒田教諭談)はどこへ行ったのか?
 留学から戻ったら人が変わったようだったと証言する同級生もいた。学ぶために大学に入ったはずなのに、授業の内容は何でも分かっている風だった。物事を慎重に進める性格は強まっていた。
 留学から戻って1年下の学年に編入されたが、だれとも話さない環境はもしかして、TTに都合がよかったのかもしれない。

~月と六文銭~

 1995年3月20日、東京の営団地下鉄の通勤電車を狙った「地下鉄サリン事件」が発生し、山梨県上九一色村にあるオメガ真理教の教団施設“サティアン”に警視庁の強制捜査が行われた。教団の主なメンバーが逮捕されたが、教団のリーダー・朝倉あさくら正晃しょうこう、本名松本まつもと多津夫たつおの姿は確認できず、教団幹部・遠藤えんどう幸一こういちの供述を基に捜索したものの、東京に移動していた教祖専用車のこともあり、山梨には居ないとの結論に傾いていた。
 ところが、第6サティアンと呼ばれる施設の配管が外れ、朝倉の隠し部屋への酸素供給が滞ると、朝倉は苦しいと言って助けを求めて、1階と2階の間の隠し部屋から出てきて、結局現場で逮捕された。

 武田哲也は当時国税庁と日本銀行の合同歳入代理店指導員研修で甲府銀行にベテラン指導員と一緒に出向いていた。まだ懇親会という名の接待が普通だった時代、銀行本部代理店部と岡崎おかざき主任検査官・指導員と武田は楽しく飲み食いした。岡崎はもちろん初めてではないが、武田は初めてで、指導員とは名ばかりの研修生だった。
 懇親会がお開きとなったのは夜10時過ぎだった。武田はこの頃にはすっかり酔っ払いのフリが板につき、トイレで吐くフリまでして岡崎を心配させ、甲府銀行の行員を喜ばせた。
「アイツは若い頃、酒が飲めず、よく吐いていた」と指導先は思いたかったし、指導側はそれで油断させた。
 ホテルに戻るなり、岡崎も武田もしゃんとして、その日集めた甲府銀行の資料をつけ合わせ始め、納入税額の誤りを3か所発見し、翌日の指摘事項にリストアップした。2年半でたったの3件しかミスがないのは、逆にすごいことだった。
「さすが大日本陸軍式スパルタ教育の甲府銀行」と岡崎が笑った。
「しかし、副頭取の前で講評を読み上げたら、代理店部長、針の筵ですね」と武田。
「だから、明日は先に部長に教えて、直すチャンスをやる。将来トップになる可能性のある人物だ。今、恩を売っておいて、あとで再就職先を確保するのも大事な仕事だぞ」と岡崎。
 武田は“お役人の鏡”な岡崎が何となく好きだった。

 地方銀行の代理店部は国の代理店として税金を集める最前線で、国税庁と日銀の接点だった。事務をしっかりやって国税庁や日銀から高い評価を得られれば出世するし、国税庁や日銀は天下り先を確保できた。戦後すぐから平成15年くらいまでは、こうした仕組みが機能していたのも事実だった。

 午前2時過ぎには解散となったが、ここからが武田のもう一つの仕事の本番だった。4階の部屋から英語モールス信号を懐中電灯で送った。直後、駅前の駐車場に停まっていたSUVが動き出した。
 風がやみ、雨も弱まった。雲がなければ、ほぼ満月の夜、武田は慎重に狙撃銃を組み立て、位置合わせのために以前土産物屋で買った古銭を並べ、そこに銃を置いた。照準を合わせ、この地域に似つかわしくない巨大な建物に向かって2発、長距離弾を放ち、1発目は第6サティアンと呼ばれる建物の機械室のメンテナンス窓を開け、2発目は隠し部屋へと続くパイプを損傷させた。
 古銭をポケットに入れて持って帰ろうと思ったが、いたずら心から「冥土への船賃だ、六文だけ置いていってやる」と2列に3文ずつ並べてその場を去った。真田の六文銭ならぬ、地獄行きの餞別と言いたかったのか、武田は狙撃の際に六文銭を印刷した名刺大のカードを現場に置いていくようになった。

六文銭、或いは六道銭

 翌朝、再び捜索を開始した捜査陣の前に朝倉正晃が姿を現し、逮捕された。
 岡崎も武田も甲府銀行の面々もニュースで朝倉の逮捕を知り、行員にとっては地元のニュースだけにすぐにテレビに飛びついた。
 後日、警察の現場検証では、パイプが外れたのは、つなげていた部分の緩みだろうと結論された。他のパイプも傷ついていたため、やや杜撰な組み立ての結果と思われたが、実際には武田が撃った弾がまずは通風孔の保護扉を開け、2発目で送風パイプの継ぎ目の留め金を破壊し、あとはポンプの圧力でパイプが外れ、朝倉は酸素が足りなくなったのだ。

 代理店検査最終日、武田は既に“キンパチ”とあだ名され、若い行員までが酒に弱い武田を心配して声を掛けてくれた。

 指導教官岡崎からは合格点をもらい、甲府銀行の若手とはその後新宿で飲むことがあったが、何よりもスナイパーとしての初仕事を成功させた武田は貸金庫に金塊が届けられたことに満足感を得た。

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