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月と六文銭・第三章(3)

 武田は執着するなと教えられた。装備、ステータス、人間関係。必ず足枷となり、最悪の場合、命を落とす結果に結びつくことはスパイ小説で失敗した工作員の例が示していた。そんな中、三枝さえぐさのぞみとはもう2年以上続いていた。

~港区赤坂・海峡酒楼~(前篇)


 ガチッ。のぞみはドアを閉め、丁寧にシートベルトをした。武田がシフトしようと手を下ろしてきたところに、そっと手を乗せて微笑んだ。
 武田が少しアクセルペダルを踏みこむと、500Eは実力の1/10も出さずに静かに走り出した。
 井の頭通りから、甲州街道に入り、首都高のランプを目指した。

「のぞみが行きたいって言ってた、赤坂の海峡酒楼を予約したよ。食べ終わってから、東京タワーを見ながら走ろうかなって思ったんで、今夜はファミリーカー」

 武田にとってデートカーは二人しか乗れないGT3で、四人乗れる500Eはファミリーカーだった。子供も親も乗せるわけではないが、セダンとはそういうものだと思っていた。

「夜景がすごくきれいって雑誌に書いてあったよ」
「新宿の夜景が見えるらしいね」
「ありがとう、楽しみ~」

 のぞみがそう言い、終始笑顔だった。


「海峡酒楼は元々ラッフルズの別館にある中華料理屋さんよね?
 ラッフルズ東京が開業した時、最上階のあのレストランは3か月も半年も予約が取れないって言われていたのに、どうやって取ったの?」

 のぞみは自慢するわけではなかったが、友人たちとの話で、あそこはあれが美味しかったよと言って、皆にびっくりされることが多かった。父が大手商社の部長だからコネがあるんだよね、とよく言われていたが、商社の商談くらいで予約がとれる程度のレストランなんて今時ない。
 武田が何か特別なコネを持っていて、それで自分のために予約をしてくれていることは確かだった。代官山のフレンチも、青山のイタリアンも、今夜の中華もそうだし、港区の和食懐石なんて会員制だったはずなの…。武田の秘密の一つだった。たまにこういう人がいるよね、と思うしかなかった。

「ああいうレストランは、食べて欲しい客の予約は取ることにしているらしいよ。
 多分、僕が田園調布の三枝家の執事のフリをして、一人娘ののぞみお嬢様がおいしい中華が食べたいと言ってますって言ったから予約を入れてくれたんだと思うよ」

 武田が悪戯っぽい目をして、のぞみの方を向いた。

「まさかぁ。
 うちは世田谷で田園調布じゃないし、父はサラリーマンだって知ってるでしょ?」
「え、そうだっけ?
 どこかの重役さんじゃなかったっけ?」

 武田のいたずら心からのぞみをいじっているのが分かったので、のぞみは真面目に返すことにした。

「今年、執行役員になったけど、ああいうレストランに予約を割り込ませられるほどの影響力なんてないよ」
「じゃあ、一介のファンドマネージャーの僕なんてとてもとても海峡酒楼の予約は取れないね」
「ほんと、どうやって取ったの?」

 真面目に考えているのぞみが可愛かった。

「青山のイル・パケッティ・ミランだって『4か月先まで予約が取れない』って香苗さんがぶうぶう言ってたのに、まさか昨日行ったなんて言えなくて…。
 そんなに予約大変なんですかって合わせたら、『どうせグルメ評論家だの、グルメな金持ち爺が若い愛人を連れて行くために予約がいっぱいなのよ』と毒づいていたよ」
「僕はグルメ評論家じゃないけど、若い愛人を連れて行く金持ち爺かもしれないね」
「へぇ、私以外に連れて行った人いるの?」

 すかさずキラッと片眼を細めて武田を睨み、猫みたいにひっかいてやろうと右手を構えた。

「ははは、君しか連れて行かないよ」
「じゃあ、香苗さんの嫌いな若い愛人って、私のこと?」

 武田は答えず、慎重に首都高を降りて行って。

「電話を架けたら、たまたまキャンセルがあったから入れたんだよ。
 超ラッキーだったわけだ!」

 もちろん、嘘である。武田は米国にいた時に構築したコネなどをフル活用したほか、武田にしかできない芸当を披露して、のぞみのためにテーブルを予約した。


 レストランは最上階にあって、個室ではなかったが、仕切りで前後左右を囲ってあって、他の客は見えないし、声は聞こえるがほとんど判別できないというのがよかった。
 ご飯は8品のコースで、量的にちょっと足りないくらいに調整されていて、二人とも満足度が高いまま食事を終えた。唯一の不満は席から新宿の夜景が見えなかったことだったが、のぞみは武田には言わなかった。武田はこれまでのぞみが行ってみたいと言ったレストランは、どんなに予約困難でも連れて行ってくれた。

 食事が終わり、エレベーターに向かいながら武田はのぞみにいたずらっぽく言った。

「夜景が見れなくて、ちょっと不満でしょ?」
「え、いや、そんなことないよ」

 のぞみは顔に不満が出てしまっていたのかと恥じて、下を向いてしまった。
 武田は1階直通エレベーターでなく、ゲストフロア用エレベーターにきて“下”ボタンを押した。のぞみはエレベーターに乗ってから、さっきと違うエレベーターかな、と思った。

 武田はレストランフロアの3階下のフロアのボタンを押した。エレベーターはスッと動いて、数秒で目的階に到着し、小さくチーンと音がしてドアが開いた。武田はドアを押さえ、のぞみを先に降ろした。

「左、4023」

 方向と部屋番号を伝え、すぐにのぞみと並んで歩きだした。
 2人が4023号室に着くと武田はカードキーで部屋に入ったが、灯りを点けず、のぞみを手招きして、バッとカーテンを開けた。

「うわぁ~、キレイ!」

 急に目の前に展開した夜景にのぞみは喜び、振り向いて武田を抱きしめ、唇を重ねた。

「ありがとう!
 本当に素敵!」

 のぞみは窓へと向き直り、飽きがこない様子で夜景を眺めていた。武田は後ろから抱きしめ、耳に囁いた。

「しよう」


 武田の両手は優しくのぞみの胸を揉み、耳を軽く嚙んだ。のぞみが息を出すのに合わせてブラウスのボタンが一つずつ外され、ブラジャーが上にずらされた。目の前のガラスに自分の胸が映っているのを見て、のぞみは赤らみ、俯いた。

「他からは見えないから大丈夫だよ」

 武田は再びのぞみの耳に囁いたが、何がどう大丈夫なのかよく分からないままのぞみは頷き、右手を後ろに回して、武田のズボンの前を探った。
 武田はのぞみのうなじにキスをしながら、パンツの細身のベルトを外し、ファスナーを下ろした。のぞみのパンツが音もなく床に落ちた。

 家にいる時などは、年齢的にアモス・スタイルやピーチ・ジョン、アムフィでもよかったが、出かける時はサルート、ブラデリス・ニューヨーク、ラヴィジュールくらいは着けて欲しいと武田は思っていた。
 パリ出張の際にオーバドゥ、ラ・ペルラ、ニューヨーク出張の時にヴィクトリアズ・シークレット、インカントなどを武田は買ってきた。
 あまりにセクシーな欧州系の下着類にのぞみは顔を赤らめて、すぐに箱に戻してしまうことが多かったが。

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