月と六文銭・第十四章(75)
工作員・田口静香は厚生労働省での新薬承認にまつわる自殺や怪死事件を追い、時には生保営業社員の高島都に扮し、米大手製薬会社の営業社員・ネイサン・ウェインスタインに迫っていた。
保険会社の営業ウーマン・高島都は逢瀬の相手であるネイサン・ウェインスタインに捕らわれ、拷問を受けていた。ウェインスタインは高島が米国の諜報組織の一員と判断し、出国の途中で彼女を殺すつもりだと示唆した。
~ファラデーの揺り籠~(75)
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高島は体の冷えが回復するのを感じていた。そして、指先から感覚が戻り始めてもいた。これなら反撃も可能か、と思ったら、可動範囲を制限されているみたいで肩は完全に上がらないし、腕もゆっくりとしか曲げられない。指は親指と人差し指と中指しか動かない。小指に力が入らないと物を握る時にきちんと掴めない。
ウェインスタインはクローゼットから服を取り出し、カバーを取ってベッドにポンと投げた。
「これを着たらいい」
「え、何これ?」
「君がヴィンセントの死に無関係だったらあげようと思っていたドレスだ」
「これって、エトワールのワンピース?」
「そうだ、君に似合うと思って、以前韓国で買っておいたものだ。
しかし、残念ながら、君はヴィンセントを殺した犯人の一味だった」
「違うわ。
何を言っても信じてくれないみたいだけど…」
「さっきのビデオが君の夫に届いた頃に、僕は米国に戻っているだろう。
運よく君の死体が見つかっても、身元を示すものは何も身に付けていないし、今の時期なら死体の腐敗も遅くはないだろう」
<監視班、ちゃんと見ているよね?このまま山の中に埋められるのは、ごめんだよ!>
「ドレスを着て」
「分かったわ」
「着たら、下着を取って、上下とも」
<ワイヤ入りのブラをそのまま身に付けられると思ったのに…。でも、まだ反撃のチャンスはある!>
高島は腕の動きを制約されているため、ベッドの上のワンピースをなんとか広げ、それを引っ張りながら自分の体に被せた感じだった。
「ネイサン、背中のファスナーが留められないんだけど…」
ウェインスタインは注意深く高島の後ろに回り、ブラジャーのホックを外してからドレスのファスナーを上げた。
高島は体育の授業の女子生徒のようにドレスの中でブラジャーを外し、脇の下の隙間から取り出した。腕を下に伸ばす方が若干やりやすく、高島はショーツを腰骨から外し、そのまま床に落とした。
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ウェインスタインがそれを拾う瞬間に反撃できないか考えたのだが、脚がいうことを聞かないことに気が付いて、下手な反撃をして、ここで殺されてもいけないと自重した。
「これでいい?」
「君と分かる物はすべて外してもらった方がいいな。
髪飾りもネックレスも指輪も」
<さすが軍情報部出身、いろいろとよく気が付くこと!>
ウェインスタインは高島の後ろから簪を外してサイドテーブルに置いた。ネックレスは留めを外して、簪の横に置いた。
高島は仕方なく、指輪をはずした。これは微弱ながら電波を発し、WiFi経由で自分の居場所を伝えてくれる装備品だった。電車で移動するなら駅の改札を通過した際に信号が本部に送られる。ちょっと傷が多い普通の結婚指輪に見えるので、普通に着けている分には気付かれない優れ物だ。
ウェインスタインのいう髪飾りとは例の簪のことで、仕込み武器となっている。本体を捻って外すと鋭利な刃物が出てくる。
ネックレスは当然首を絞める紐として使えるよう、本体は強化カーボンを紐状に編んだものだった。
ウェインスタインに腕の動きを制限されているのか、高島は靴を履くのに苦労していた。
「ねぇ、靴がうまく履けないわ」
「これでどうだ?」
ウェインスタインが高島に靴ベラを渡した。
「安心しろ、きれいに拭いて、先ほどまで君の膣内を掻き回していたのは分からない」
<ムカッ!チャンスがあったら、お前の肛門にコイツを突っ込みたいよ、まったく!>
「そういうチャンスは来ないから安心しろ。
君は1時間後には6フィート地下にいるから」
<読まれている…>
「そう、だから、君が身につけている武器の類は全部分かる。
指輪のことも、髪飾りのことも、ネックレスのことも、ブラジャーのことも全部分かるんだ。
ガーターも着けさせないよ」
<…>
「そうだ、何も考えず、僕の言うことを聞けばいいのだ。
早く靴を履いていこう。
米国行きの飛行機が僕を待っているのだ」
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高島の両腕は動かせる範囲が広がった。ウェインスタインが高島の武器を取り上げた安心感がそうさせたのかもしれない。ドレスの背中のファスナーを締められる程度の力が入るようになり、背中のファスナーに届く程度の自由度が与えられた。
<彼は恐い。今はいうことを聞こう。私は何もしない。とにかくいうことを聞く>
高島はウェインスタインに従うことを意識した。
ウェインスタインは高島のハンドバッグを拾い、彼女を先に行かせた。
「地下にいい車があるんだ。
あと2、3日は楽しめると思ったが、仕方がない」
***現在へ***
「もう気が付いていていると思うけど、哲也さんは以前、首都高で黄色のフェラーリと赤いベントレーを撃って事故を起こさせたことないですか?」
「お、ありました!」
「フェラーリはオイダン。
単独事故で入院、そのまま組織が確保しました。
赤いベントレーを運転していたのがウェインスタイン=マーク・ウェスティン、助手席に座っていたのがアタシなんです」
武田はびっくりして、聞いた。
「え!
あの時、ケガはなかったの?
あの時は確か急遽狙撃依頼が来て、狙撃場所は組織が指定して、トリガーを引くだけのアサインメントだったから、ターゲットについては聞かされていなかったし、その後どうなったかも知らされず」
「あの時が、アタシが初めてアナタに直接命を救われたのです」
田口は今度はしっかり武田の顔を両手で挟んで、正面からキスをして、お礼の気持ちを伝えた。
「あの時はありがとう、私の命の恩人、私のガーディアン・エンジェル(守護天使)、マイ・ハニー💖」
武田は、「守護天使ってなんぞや?」と思ったが、田口の話の続きに耳を傾けた。
***再び回想へ***
地下駐車場のエレベーターを降りると駐車場の反対側に真っ赤なベントレーが止まっていた。
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