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月と六文銭・第二十章(07)

月と六文銭・第二十章(07)

 韓国大統領の訪日警備は悪夢と言わざるを得なかった。
 日韓関係が戦後最悪で、国際会議場では首脳同士がそっぽを向いて会話もしない状況だった。
 しかし、水面下で情報コミュニティ同士は協力し、要人警護に神経をすり減らしていた。内閣府内閣情報室直下に位置する対テロ特別機動部隊、別名「鈴木班」は、韓国大統領への狙撃対策を練っていたが、関係者が入り乱れる展開も考えられたため、慎重に検討を重ねていた。

<前回までのあらすじ>
 鈴木班の潜入捜査官"鈴木ユナ"は韓国人留学生カップル、イ・ソンホンとチェ・ミンハをマークしていた。狙撃の二日前、イとチェは2週間ぶりにセックスをしていた。イに尽くすチェ、自分の役割に徹するチェ、「姉さん」の代わりにイとセックスしているチェ。
 その後の会話を聞いて、鈴木ユナは自分たちの捜索方針を修正する必要を感じ、急遽作戦会議が開催された。イを押さえても大統領暗殺を防ぎきれいない可能性が高まっていた。

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07
***
 翌朝、鈴木の部屋で江口が昨晩の打合せ以降の進捗を報告していた。鈴木はホットライン的に連絡が取れる韓国情報院(NIS)副院長イ・ダスンに日本の状況を連絡して、韓国側の状況を聴取した。

「昨晩、情報院副院長と話したが、国務総理(首相)のファン・キョアンが軍に急接近していて、経済の失策と軍軽視で支持率急落の大統領を除きたいとの考えを持ち始めたらしい。
 国連でのスピーチに国内ががっかりしているらしい」
「ファンは留守を預かって、国内に残っています。
 NIS院長が大統領に同行しています。
 彼を狙っているのでは?」
「NISは今、一枚岩だ。
 院長を狙っても効果は少ない。
 別の狙撃手をイが止める。
 ムジゲの2組はサポート。
 3組とも大統領側だとすると、別のスナイパーが大統領を殺し、ファンが国内を掌握する。
 それとも同行している祖国党幹事長チョン・フンハを狙うことによってファンの野望を止めるのか」

 江口と鈴木はプロジェクターで映し出された数人の顔写真を見ながら考えた。

「誰を狙うと、どういう影響が出るのか、もう一度整理しよう」

 鈴木は江口を見上げながら、USBメモリを1本渡した。
 江口はノートPCにUSBを挿して、20個近いファイルがコピーされ、次々に開いていくのを見ていた。
 パク大統領を中心とした相関図が表示され、国務総理ファン、NIS院長チェ、与党祖国党幹事長チョン、大きな四角で左側に“北”、右側に“軍”と“米国”がそれぞれ配置された。
 軍の四角の中にイ・ソンホンとムジゲと書かれた楕円が2つ。米国の四角の中にクエスチョンマークのついた楕円が一つ。北の四角の中に同じくクエスチョンマークの付いた楕円が一つ。全体の下に数字の入ったアイコンが4つ。

「まず1だ」

 鈴木がそう言うと、江口が「1」をクリックした。四角や楕円が少し動き、次に赤い線が北の中の楕円からパク大統領に伸び、イから楕円に向け黄色の線が伸びた。次にムジゲから黄色の線が2本伸び、イから伸びた線が青に変わり、北の中の楕円にバツ印がついた。想定しやすいシナリオだが、こうなると鈴木たちは北の中の楕円にいるスナイパーを見つけないといけない。

「次、2」

 江口が「2」をクリックした。四角や楕円は大胆に動き、大統領、軍、NISが左側、祖国党と幹事長が右側、軍の中の楕円から伸びた黄色の線が幹事長につながると青くなり、幹事長にバツがついた。

「幹事長は大統領の暴走を止めたいのか?
 ただこれでは大統領の力が強まるな。
 国内の混乱に拍車がかかるだろう」
「同じ党の大物を暗殺しますかね?
 しかも、ムジゲは何もしていません。
 考えにくいです」

 江口は応じた。

「3は?」

 江口がクリックすると、軍の四角が左右に伸びて、左側にイ、大統領、韓国軍、クエスチョンマーク入りの楕円、右側にムジゲ1とムジゲ2の楕円が2つ、NISの字の入った四角、祖国党の四角が表示され、ムジゲ1と2から大統領へ赤い線が伸び、イと米軍の楕円から黄色の線がどれぞれムジゲ1と2へと伸び、つながった瞬間青に変わり,ムジゲ1と2の楕円にはそれぞれバツが付いた。

「クーデターを企てたが、失敗するシナリオか!?」
「イが大統領を救って、祖国の英雄となるとのチェの発言に合致します」
「米軍か米国のこのスナイパーの力を借りているが、国内に力を誇示するにはいいし、軍も大統領にも恩を売っておけるか
 しかし、2人のムジゲは大統領のために命を懸けて不可能を可能にしたのに、簡単に大統領を撃てるのか?」
「初代ムジゲは国家のために大統領の父、当時の大統領を撃ち、今もスナイパーを育てているのなら、今のムジゲも任務と言われれば粛々と遂行するでしょうし、逆に軍に守られるんじゃないですか?」
「これが一番ありえそうなシナリオだな。そうなると4番は何を想定しているんだろう?」

 江口は「4」をクリックした。画面の中の四角や楕円はまた大胆に動き、左側に大統領、韓国軍、イ、ムジゲ、NIS、右側にチョン幹事長だけ、そしてイとムジゲから3本の黄色い線が伸び、幹事長につながった。

「帰国してから、得意のスキャンダルで失脚させればいいので、日本で幹事長暗殺は考えにくいです。日本と密約とか、日本女性と親しくなったとか、いくらでも話題作りが可能だと思います」

 江口はこれまでと同じようにシナリオに沿った結果を言った。

「3の線で考えて、ムジゲを確保、イも発砲前に捕えたい」
「了解です。チームと警視庁に連絡します。この2点が最も可能性が高いので、マークし、ムジゲが来たら確保できるよう準備します」

 江口は再び自分が作った狙撃シミュレーションを表示し、2人のスナイパーが大統領を狙った場合のシーンを再生した。
 この2人を防ぐための狙撃地点の1つにイがいるはずで、もう一方には米軍のスナイパーがいるはずだ。一応、一旦はこのスナイパーも逮捕しなくては。江口は高田と宮城に連絡し、宮城は安政大学で千堂と合流して作戦を伝えた。

***
 パク大統領の講演は午前中、安政大学の隈田講堂で行われ、キャンパス内の隈田庭園で昼食会が開かれた。挨拶に立った大統領の後ろに控えていたチョン幹事長が右肩を撃たれ、病院に運ばれたが命に別状はなかった。パク大統領はその場を離れ、韓国大使館に逃げ込んだ。

***
 イは警視庁に捕らえられたが、ムジゲの2人は全く発見できず、幹事長を撃ったスナイパーも見つけられなった。事件後の検証では、建設中のビルから大学のビルの間を弾丸が飛んで幹事長に当たったとの説が有力となった。
 しかし、狙撃手がいたとされるビルからは狙撃の事実 を裏付けるものが全く見つからず、さすがの警察も、韓国のみならず、自国民からも何をやっているんだとの批判を受け始めた。
 警察が考えたシナリオは2つ。1つ目はビルから大統領を狙ったが、逸れて幹事長に当たったケース。2つ目ははじめから幹事長を狙い、当たった。300メートルの距離からビルとビルの間を通した腕前は褒められるレベルだった。

「おかしい。
 おかしくないか?
 警視庁が全く狙撃の痕跡を見つけられないことは今までなかったが」

 鈴木は語気を強めて言った。江口はしばらく考え込んでいたが、口を開いた。

「政治的にはパク大統領の力を強める結果になって、取り敢えず勝利なのでしょうけど、この作戦、イだけが見えるところにいて捕らえましたので、失敗ですか?」
「イは見えるところにいた。
 ムジゲも狙撃手も見えなかった。
 こうは考えられないか?
 イは我々へのエサで、大統領の意を受けたムジゲがまた不可能を可能とする一発で幹事長を撃った」
「もともと2人で任務を遂行するスタイルですから、幹事長を撃って、どこかへ消えた」
「すべての空港で韓国女性の出国をチェックだ」
「すぐ手配します。
 狙撃直後から調べます」

 江口は国内外のルートを使って調べた結果、ムジゲに該当しそうな女性はヒットしなかった。大統領が使節団に紛れ込ませて入出国させたとの結論に達し、それ以上は調べるのが事実上不可能だった。20代から40代の女性スタッフが7人いたが、全員大韓民国外交部(外務省)の職員となっていた。

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