見出し画像

あなたはどれに当てはまりますか?シン・『シンドローム』 

 日本人の90%以上が32種類の『シンドローム』のどれかに当てはまる!

『シンドローム』のことを知れば、自分が自分らしく生きられる!

『シンドローム』で世の中がもっと明るくなる!

シン『シンドロームとは』

 『シンドローム』とは、日本語では『症候群』のことで医学的用語として使われています。医学的用語としての『症候群』は、いくつかの症状や所見が認められ、特徴的な様子を示す病的な状態を表す言葉です。簡単にいってしまえば、病気ではないけれど、病気にみられる症状もあるということです。

 しかし、満月叶子が提唱するシン『シンドローム』という言葉は、医学用語として使用しているのではありません。『シンドローム』は、人間の本質や、環境によって変化した思考や言動傾向を表したもので、習慣や癖のようなものです。けっして病気のことを指しているわけではないのです。

どのような言動を起こしやすい人なのか、どのような感情や思考傾向になりやすい人なのかを『シンドローム』という言葉を使って区分をしています。

『32種のシンドローム』

 シン『シンドローム』は、全部で32種に区分しています。そして、日本人の90%以上が32種類のシンドロームのどれかに当てはまると予想されます。

 実際、私がこれまで関りのあった人達は、すべて32種類のどれかのシンドロームに当てはまっていました。つまり私が出会った人100%が、いずれかのシンドロームに当てはまっていたのです。けれども、日本人全員を分析したわけではないので、当てはまらない特殊な人もいらっしゃると思います。

 当てはまらない人が特殊?そう思われたかもしれません。『シンドローム』に当てはまる方が特殊に考えられてしまいそうですが、決して特殊なことではないのです。むしろ人間なら、感情や言動傾向になんらかの傾向や癖があって当然です。何かしらの『シンドローム』に当てはまることが人間らしさでもあります。

『症候群ではなくシンドロームにした理由』

 日本語で『症候群』と表さずに『シンドローム』とカタカナで表記したことにも理由があります。

 『症候群』で表すと、病気に勘違いされやすいからです。そしてもう一つ、『シンドローム』で表すと、少しラフな印象になるからです。

 たとえば、『ストーキングシンドドーム』は、55種類の『シンドローム』の中の1つですが、これを日本語すると“つきまとい症候群”という感じの名称になります。

 “症候群”という言葉を使うと、より重苦しい印象や病的な印象を持ちませんか?

 会話の中で、それぞれの言葉を比較してみるとわかりやすいと思います。

 例1)「俺って、つきまとい症候群かも」

 例2)「俺って、ストーキングシンドロームかも」

 どちらも、この人だいじょうぶ?と思うかもしれませんが、聞き手の返事を想像してみましょう。

 例1)本人:「俺って、つきまとい症候群かも」

    相手:「えっ!一度、病院に行って診てもらったら?」

 例2)本人:「俺って、ストーキングシンドロームかも」

    相手:「やっだあ、それってストーカー?うける~!」

    本人:「ストーカーじゃないよ。ストーキング傾向ありって

だけ!」

    相手「そっか、ストーカーっぽいところがあるってことね」

  上述の例は、ストーキングシンドロームについて、あっけらかんと告白しているので、深刻さは感じられません。ここまで相手が軽く流すかどうかはわかりませんが「私はつきまとい症候群です」と告白するよりも『シンドローム』という言葉を使った方が、聞き手にとって軽く受け流すことができるようになります。

軽く受け流せるということは、これまで本人が「これを言ったら嫌われるのではないか」、「人にはぜったいに言えない」と胸の中にしまい込んでいた悩みを他人に打ち明けやすくなるわけです。

 悩みには自分自身では解決できないことが多々あります。悩む時間が長くなれば、気持ちも沈み、ネガティブな妄想へと発展する可能性も高くなります。そんな時に、パートナーや友人、職場の同僚などに、気軽に自分の思考や言動の傾向や癖を言えたら、一人で悩み続けることがだいぶ減ることになるでしょう。

『シンドロームを知ることで世の中は明るくなる!』

 自分の性質や癖、思考や言動の傾向を把握していたら、コミュニケーションの取り方や人との距離感をうまくコントロールできるようになります。

 たとえば、『スパイスシンドローム』の男性とお付き合いしている女性が、親友に彼を紹介する場面を想像してみましょう。

 『スパイスシンドローム』は、マイスパイスやマイ調味料を持ち歩いて、レストランや他人が作ってくれた食事にスパイスや調味料をかけて自分好みの味にする、ちょっと失礼な人だと思われやすい傾向のことです。

 男性が『スパイスシンドローム』だということをお付き合いしている彼女も知らなかった場合、いつも勝手に調味料を足して自分の味付けにしてしまう彼を親友に紹介することを躊躇すると思います。

 では彼が『スパイスシンドローム』だと彼女が理解していたらどうでしょうか。

 その場合、二通り考えられます。

 1つ目は、親友に彼のシンドロームのことを言わない場合。2つ目は、あらかじめ伝えておく場合です。

 親友に、彼のシンドロームのことを教えずに食事をしたら、親友は嫌な顔をするか、あるいは後で彼女に、「彼、変わっているね」と微妙な反応が予想されます。または、それも言わずに、他の人に彼の陰口を言いふらすかもしれません。

 一方、親友に彼のシンドロームのことをあらかじめ伝えていたらどうでしょう。

「彼って味にこだわりがあって、自分でスパイスを持ち歩いているのよ。ちょっと変わっているけど、いい人なのよ。」と一言あれば、実際に、レストランでマイスパイスをかけて食事をする彼を見て、「ほんとだあ」と笑いながらやや驚く程度ですみます。

 親友に、彼の『スパイスシンドローム』が嫌と言われたら、次からはボーリングや山登りなど食事以外で会うことにすればいいわけです。

 また、女性の方も『スパイスシンドローム』の傾向が若干あるようなら、彼とは、食事において相性が良いということにもなります。

 前述した『ストーキングシンドローム』についても、つきまとい傾向がある人とは距離を置きたいと思う人はいます。逆に、お付き合いしている彼とはいつも一緒にいて、自分のことを何でも知っていてほしいと思う人であれば、『ストーキングシンドローム』の人の方が合っているかもしれません。

 自分自身と自分と関わる人がどのような『シンドローム』なのかを知っていれば、距離を置いた方がいいと人、もっと親しくなってもいい人かを判断しやすくなります。そうすれば人との関りに関するトラブルは減り、世の中はもっと明るくなると思うのです。

『シンドロームにはレベルがある』

 一口に『シンドローム』といっても、人によって、その傾向が強い人や弱い人がいます。癖という言葉を使えば、癖が強い人もいれば、若干癖がある人もいるように、『シンドローム』にもレベルがあります。

 たとえば、つい話を盛ってしまう『盛りバナシンドローム』では、その傾向レベルが最も強い100%である人が話す言葉は、ほとんど信用できないということです。それに対して、20%程度のレベルであれば、場を盛り上げるために、少し話をオーバーに表現するけれど、嘘をついているわけではないという判断になります。若干『盛りバナシンドローム』の性質を持っている人の方が楽しい人と思われるかもしれませんし、そういう人の方が好きな場合もあるでしょう。つまり、『〇〇シンドローム』だから悪いのではなく、良い場合もあり、人それぞれなのです。

『それハラスメントですか?』

 現代、何でもかんでもハラスメントだと判定されて、仕事やプライベートでも生きづらくなってきています。

 ハラスメントとは、人に対して嫌がらせやいじめなどの迷惑行為のことを指し、相手に不快感や不利益を与え、尊厳を傷つけることです。

 ハラスメントの定義からすると、相手が不快だと思ったら、即、ハラスメントになってしまいそうです。

 ですが、本当に不快=ハラスメントなのでしょうか。

 前述した『スパイスシンドローム』のことを例に挙げてみると、ハラスメントか否かの判断がつきやすいと思います。

 たとえば、お付き合いしたばかりの女性から始めて手作り弁当をもらったとします。男性の方は『スパイスシンドローム』で、それを女性は知らなかった場合、お弁当を一口も食べないうちから、持参した醤油や七味唐辛子をかけたら、女性は不快に思うでしょう。女性が、男性から嫌がらせを受けたと言えば、それはハラスメントになりえます。

 しかし、男性の方は嫌がらせでスパイスや調味料をかける行為をしたわけではありません。いつものように、自分が食べたいようにしただけのことです。

 もし、女性が男性の食べ方について責め立てれば、今度は男性が不快に思うことでしょう。自由に食べさせてほしいのに、いじめだ、と思うかもしれません。そうなると男性の方が女性からハラスメントを受けていることになります。

 このように、不快、嫌がらせ、いじめと相手が感じただけでハラスメントになってしまうと、すべてのハラスメントに気遣いながら、息苦しく過ごさなくてはなりません。

 メディアでもたびたびハラスメントの特集が報じられていますが、

何でもハラスメントになってしまう世の中になると、人と接するのを避ける人が増加することが想像されます。つまり、恋愛や結婚を躊躇する人達も増えるということです。仕事でも人と関わるのが嫌なので、すぐに辞めてしまう人やテレワークの仕事しかやりたくないと思う人も増加するでしょう。

 ハラスメントと判定されても、当の本人は、わざと嫌がらせをしたわけではないかもしれません。いじめるつもりもないのに、いじめと受け取られてしまっただけかもしれません。

 ハラスメントを受けたと思った人を同情や救うために、ハラスメント判定があるようですが、勝手にハラスメントに判定されてしまった人は、本当に責められるべきなのでしょうか。

 ハラスメントの中に、正当な行為に対してもハラスメントだと主張する『ハラハラハラスメント』があります。今の世の中は、まさに『ハラハラハラスメント』を増やそうとしているかのような流れになっています。

 何でもハラスメントと判定してしまうが横行すれば、人とコミュニケーションをとることや協力し合うこと、しいては、人に会うことさえ拒否する人で溢れかえってしまうことでしょう。

 ハラスメントと判定する前に、まずは、コミュニケーションをとることが大切です。関わる人のことを知ることが重要です。すべての人が、何らかの癖や習慣、思考や言動の傾向が強かったり、弱かったりします。人間とは、そういう生き物だと理解するべきです。

 自分がどの『シンドローム』あてはまっているのか。それを関わる他人に気軽に告げることができるか、また関わる相手の『シンドローム』は何に当てはまっているのかを知ることで、今まで嫌がらせやいじめだと思っていたことが、実は違っていたと気づくことができます。そして、自分を知ってもらい、相手を知ることで、恋愛や結婚への興味も高まっていくことでしょう。

 少子化が大きな課題となっている日本は、何でもハラスメント判定をするような流れになるよりも、人と人が理解しあい、寛大な心を持てるような方法をもっと考えるべきだと思っています。その方法の1つとしてシン『シンドローム』という考え方が役立つことを願っています。

 


 

 

 

 



 

 

 

 




 





よろしければサポートお願いします。いただいたサポートは占い・カウンセリング活動に使用させていただきます。