第1回/マンガとの出会い

マンガ家として本格的な活動を始めたのは40歳過ぎてから、しかもコロコロコミックという児童マンガ月刊誌ですから、やや異色なデビューだったように思います。

 私とマンガとの出会いは、私が小学3年生の頃(1960年前後)でした。。
今程マンガは市民権を持っておらず、またPTAが殊更に騒ぎ立てる程嫌われてもおらず、なんの害にもならない「子供のおもちゃ」といった程度のもので、少年サンデーやマガジンなどのマンガ週刊誌が創刊されるのはまだ先の事でした。

 親戚のおばさんが、お土産にマンガ雑誌(月刊誌)を買ってきてくれたのです。
私は、生まれて初めてマンガと遭遇しました。
そこに載っていた「ジャングルタロ」というマンガに、私は衝撃を受けました。
他のマンガは一切記憶に残っていないので、いかに鮮烈だったかが分かります。
作者の名は「手塚治虫」。
テレビもまだ普及していない時代です。
世の中にこんな面白いモノが存在するのかと、目が点になったのを覚えています。
家が裕福ではなかったので、そのマンガ雑誌を継続して買ってもらうこともできず、そのマンガ雑誌を何度も何度も読み返していました。

 健康で病気ひとつしなかった私ですが、あるとき風邪をこじらせて数日学校を休んだことがありました。
母親が元気を出すようにとでも考えてくれたのでしょうか、一冊の単行本を買ってきてくれたのです。
手塚治虫の『西遊記』第3巻(鈴木出版)というハードカバーの本でした。
マンガ雑誌と違い、全部が手塚治虫のマンガなのです。
今ではマンガの単行本など珍しくもないでしょうが、当時は大変珍しいものでした。
突然3巻なのですが、前の話など分からなくても、その面白さは抜群で、私の宝物になり、今でも大切にしています。

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 小学校も高学年になると、「マンガを買っている」友達ができ、彼等から借りてマンガを見る機会が増えて来ました。 

また当時は「貸本屋」さんが全盛のころで、自分の小遣いでも毎月発売される月刊誌を何冊も借りて読む事ができる状況になっていました。
毎日のように貸本屋さんに通い、マンガ漬けでした。
完璧にマンガにのめり込んでいました。

 マンガ家になりたいと思ったのは、小学校6年生の時でした。
自分でマンガを描く楽しさを知ってしまったからです。
最初は、お気に入りのマンガの主人公の似顔絵を描く事から始まりました。
友達の家に集まって、みんなで描きっこをするのですが、どうもその中で私が一番上手に描けるらしいのです。
みんなもそれを認めていたようで、「上手いから、マンガ家になれるんじゃない?」などとおだてられます。
子供ですから「そ、そうなのかなぁ・・・でへへ」などと、その気になっていました。
ほめられて嬉しくない人間などいません。
描くのも楽しいし、それをさらにほめられるのですから、その気にならない方がオカシイ。

 そのうちに、似顔絵ばかり描いていてもつまらなくなり、かといってオリジナルのマンガを描ける程の力も無く、何をしたかといえば、既成のお気に入りのキャラクターを使って自分流のマンガを描くようになりました。
今で言えば、同人誌で描かれている2次創作のようなものでしょう(子供が描くものですからもちろん健全な内容ですが)。
「鉄腕アトム」と「おそ松くん」を描いた記憶があります。


そのうちに、どうしてもオリジナルを描きたくなり、自分なりのキャラクターを作り、ノートに鉛筆で描きはじめました。
楽しくて、楽しくて、本当に楽しくて、毎日が幸せでした。

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 将来何になりたいか、という授業の中で、

「ボクはマンガ家になりたい!」

と宣言しました。
それを聞いた担任の先生は、
「かとうくんならなれるでしょう。」
と答えてくれたのを覚えています。
本気でそう言ってくれたのかどうかは分かりません。
でも、その言葉は、私にとって一生忘れられない言葉になりました。

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