10歳の心
(2014-11-15)
小学校の頃、転校をしたのですが、
先日、そのときにあったことや感じていたことを話していたら、
本気で泣きそうになりました。
10歳の時のショックとか絶望が、
31歳の私にもまだまだ真新しく、
思い出せばヒリヒリします。
転校してすぐ、消しゴムをなくして。
前の学校では、なぜだか人のものをとってしまう子がたくさんいて、
頻繁にモノがなくなりました。
わたしの名前が書いてあるノートを、
名前の字を黒く塗りつぶして別の子がいつの間にか使っていたりしました。
それはわたしのだと抗議しても、返してもらえないこともありました。
モノがなくなると、みんな「誰かがとったんだ」と考えていました、だから、
新しい学校で消しゴムがなくなって、わたしはきっと誰かがとったんだと思いました。
放課後の教室で、なくなった消しゴムを一人で探していたら、
あたらしい担任の先生がやって来て、もう帰りましょう、というので、
わたしは、消しゴムがなくなってしまって、きっと誰かがとったんだと思う、と言いました。
そうしたら、先生は、
「先生のクラスの子に、人のものをとるような子はいません」といいました。
わたしは、人を疑う子だと先生に思われて、
(実際ほんとうに人を疑っていたのだし)
それでも、きっと誰かがとったんだと思いました。
でも、もう一度よく探してみたら、
消しゴムは自分のノートに挟まっていたのです。
先生は、「人を疑うことはよくない」というようなことをわたしに言ったかもしれません。
わたしは、先生に「この子は人を疑う子だ」と思われたことがショックで、
「先生のクラスには、モノがなくなったからって人を疑うような子はいない」と言われた気がして、
わたしはこのクラスの子じゃないんだ、とすごく強く思ったのでした。
先生はわたしの味方じゃない。
先生は、クラスの他のみんなの味方で、
わたしはひとりぼっちなんだ、と思いました。
薄暗い冬の教室をぼんやり覚えています。
すごく泣いたかもしれません。
泣いている自分が恥ずかしくてみじめで、
前の学校に戻りたいと思いました。
祖父母が故郷に帰るために、
祖父母の家から通っていた学校から、自宅のある場所の学校に転校したので、
生まれた頃から面倒を見てくれていた祖父母と別れて、
かぎっ子になったばかりの頃でした。
子育てを応援してくれていた祖父母が遠くに行ってしまったので、
母も大変そうでした。
でも「れいこがおおきくなったから、れいこのおかげよ」と言う母に、
学校でつらいことがあったと、言ってはいけない気がして、
それでも我慢できずに家で泣いてしまう自分が、
とても、イヤでたまりませんでした。
自分にまったく非がないなら、
そういう状況になった自分を憐れむこともできますが、
人を疑った自分のせいでもあったから、
そんな自分のことが、すごく好きじゃなくて、
「わたしなんか生まれてこなければよかったんだ」とぽろっと言ってしまって、
その言葉にショックを受ける母を見て、
わたしもショックでたまりませんでした。
そういう記憶は、時が経てば薄れるのかなと思いましたが、
わたしの場合はそんなことはなくて、
逆に言ったら、その心のヒリヒリが、今のわたしの財産なのかもしれません。
どうしようもない経験、
どうしようもなくきたない思い出。
人に言いたくもないこと。
それがあってこその今なのかもしれない、と、
すこしは前向きに考えてみています。
(2014-11-15)
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