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09 割烹料理屋の二階の隠れウィスキー

とみさわ昭仁

 KFCでひとしきりアルバイトをしたあと、次は家の近所にある割烹料理屋でバイトを始めた。母の知人がそこで仲居さんをしていて、人手が足りないから手伝ってほしいとのことだった。
 仲居さんというのは、料亭や割烹のような飲食店で料理を運んだり接客をしたりする仕事だ。割烹になんて行ったことがないというひとも、旅館に泊まったとき和服の女性に食事を運んできてもらったことくらいあるだろう。あれが仲居さんだ。
 仲居さんのバイト? ぼくは男ですけど? と思ったが、先方はそれでも全然かまわないという。男は別に着物を着るわけではなく、料理人が着ているのと同じ白の上下に、白い帽子をかぶって仕事をする。
 KFCの職場は女子大生がたくさんいてハーレムだったわけだが、ファーストフードだからバイトの時給はタカが知れている。一方、新しくバイトを始めたところは高級店でこそないものの、いちおう割烹料理屋なので、KFCの倍近い金額だった。しかもまかない付きで、これがとても魅力的だった。最低ランクのメニューでも刺身定食。板長の機嫌がいいときは天ぷら御膳。月に一度くらいオーナーが店に顔を出すが、そういうときは鰻重を振る舞ってくれたりする。
 ぼくの最初の仕事は、先輩の仲居さんと一緒に料理を客に出すことだ。一階はテーブル席とちょっとした小上がり席があり、二階は大宴会場になっている。料理を乗せたお膳を持って、あっち行ったりこっち行ったり大忙しだ。
 時給は正確な金額は忘れてしまったが、夕方の開店から夜10時の閉店までは、たしか1,000円くらい。いまから40年以上前の話だから、時給1,000円というのは高い。それが夜10時を過ぎると、さらに手当が付いて1,500円になる。普段は手当が付くことはないが、ぼくがバイトを始めたのは12月だったので、ちょいちょい忘年会や新年会の予約が入る。当然、大忙しでテンテコマイになるが、宴会が終わると大量の汚れた食器が出る。これをすべて洗い終えるまでは帰れないので、夜10時以降の残業手当をゲットできるというわけだ。
 この店のいいところはそれだけではない。松戸のはずれの田舎町とはいえ、いちおうは割烹料理屋であるからして、地元の中小企業の社長さんとか地主さんが、ときどき顧客を連れて食事に来る。ちょっと見ていればそういう人間関係はわかってくるもので、ぼくはグループの中でいちばん偉そうな人からお茶を出すようにしていたし、必要以上に丁寧な接客を心がけた。いまでこそビールのお酌をするのもされるのも大嫌いなぼくだけど、このときは「ビールお継ぎしましょう」と言って、相手をどんどんいい気持ちにさせた。
 するとね、社長さんってチップをくれるんですよ。少なくても1,000円。気前のいい人は5,000円くれたりすることもある。おそらく、ぼくの格好を見て板前の修行中の下っ端が頑張っていると思ったんだろうね。
 
 ぼくはあくまでも仲居としてバイトに入ったので、調理場の仕事は手伝う必要がない。だが、一度だけ鰻の仕込みを手伝わされたことがある。板長が綺麗に割いてひらきにした鰻に、串を打つのだ。
 串を刺すくらい簡単なことだろうと思ったが、これが大変だった。鰻は脂がのっているので、とにかく滑る。それに焼いた鰻なら身がホロホロになっているが、生の状態だととにかく串が入っていかない。なかなか刺せずに苦労していると、板長が秘密兵器を貸してくれた。指先にはめる金属製のキャップで、それを付けた指で押さえると滑らないのだ。10枚くらい鰻の串を打ち終えたあとは、指がじんじん痺れ、しかも鰻の血で手が真っ赤になり、もう懲り懲りだと思った。
 12月も中旬を過ぎ、いよいよ忘年会シーズンが本格的になると、ぼくは宴会場の中継役として、二階の小部屋で待機することになった。
 まず、予約客が来る前に仲居さん総出で大宴会場のテーブルにおしぼり、小皿、箸、グラス、お猪口などと一緒に、お通しやお新香のような冷えてもかまわないものをセットする。で、お客さんたちが来店し始めたらビールなどの飲み物を5〜6本ずつテーブルごとに並べていく。その後、乾杯の合図と同時に天ぷらだの焼き魚だのといったメインディッシュを運び込む。
 そこまで済んだら仲居さんたちはまた一階の仕事に戻り、ぼくだけが二階の小部屋で待機する。ここで、宴会客から「ビールちょうだーい!」と言われたら二階にもある冷蔵庫からビールを出すし、追加料理を頼まれたらインタホンで調理場へ伝え、リフトで上がってきた料理を宴会場に持っていく。それ以外は基本的に暇なので、宴会中は案外と楽なのだった(宴会後が地獄)。
 二階の小部屋には、二階ばかり利用する常連客用のボトルもキープしてあって、もう時効というか、その店はとっくに無くっているから言ってしまうが、バイトは自由に飲んでいいコーラを冷蔵庫から取り出し、そこにボトルのウィスキーを垂らしてコークハイを作って飲んでいた。
 笑顔でチップをもらい、影で客のウィスキーを盗み飲む。ひどいバイトもいたもんである。

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とみさわ昭仁

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