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53 対馬のとんちゃん焼きを訪ねて(後編)

 対馬に着き、厳原の町をウロウロしていたときから、一軒の店が気になっていた。「どんぐり」という名の韓国家庭料理の店だ。
 ドアには料理の写真がたくさん貼ってあり、店内を覗き込むことができない。おまけに各種の料理名と思しきハングル文字も書いてあって、一見さんには入りにくいオーラがビンビンに出ている。
 だが、聞いた話では「対馬とんちゃん」は元々韓国から伝わった料理だという。だとするなら、この店こそ対馬とんちゃんを食べさせてくれるのではないか。そう思えてならない。
 ここはひとつ、覚悟を決めて飛び込んでみよう。
「ごめんくださいー」
 と声をかけながら引き戸を開けると、キッチンで女将さんが仕込みをしているところだった。まだ営業開始前ではあるが、見ると客席カウンターではご亭主らしき人が晩酌を始めている。
 突然あらわれた来訪者に対応してくれたのはご夫婦の娘さん。ここに至るまでの事情を彼女に話すと、残念ながらこの店では対馬とんちゃんを出していないけれど、それがメニューにありそうな店を一緒に探してくれると言う。やべえ、親切の不意打ち! 恋の予感!
 ご夫婦にもお礼を言い、ぼくはその娘さん(仮りに“どんぐりちゃん”と呼ぶ)と連れ立って、日の暮れかけた厳原の町に飛び出した。

 どんぐりちゃんが「ここならありそう」と言って最初に案内してくれたのは、「千両」という居酒屋だった。しかし、店頭に貼ってあるお品書きには「対馬とんちゃん」の文字はない。
 ぼくらがガッカリしているところに、ちょうど会計を終えたお客さんが出てきた。この人はどんぐりちゃんの知り合いのようで、挨拶ついでに「とんちゃん出してる店知らない?」と聞いてくれる。
 すると、この人がまたウルトラ親切な人で、記憶をたぐったり、携帯で調べるなどして、「すみっこ(という店)ならあるよ!」と教えてくれた。
 やった! ついに!
 どんぐりちゃんと雑談しながら「すみっこ」へ向かうと……。
 定休日ー!!!
 こりゃ、途方に暮れますなー。
 ここで、どんぐりちゃんから聞き出したことをまとめておこう。

 1)対馬とんちゃんは、豚の肩ロースを韓国風のタレに漬け込んだ焼肉である。
 2)対馬の名物料理であることは間違いない。
 3)しかし、対馬(厳原地区)の人は滅多に食べない。
 4)というか、店でわざわざ外食するようなものではない。
 5)タレに漬け込んだ肉を買ってきて、家で焼いて食べるものである。
 6)韓国から、カミ(=対馬北部)に伝わった料理である。

 どうも、そういうことらしいのだ。だからカミに行けば対馬とんちゃんを食わせてくれる店もあるのかもしれないが、ここ厳原では望み薄だ。
 事前にネットで調べてきたときには、「対馬名物とんちゃんを盛り上げようー!」と長崎の商工会議所が「対馬とんちゃん部隊」なんてものを結成し、地域おこしをしてるという情報があったのだが、ここ対馬に上陸してからあらためて調べ直してみると、とんちゃん部隊の本部住所は「対馬市上(カミ)対馬町比田勝」なのだった。拍子抜けしましたよ。

 しかし、優しいのはどんぐりちゃんだけではなかった。
 ここまで親切にしてもらったのだから、もう対馬とんちゃんは諦めて、「どんぐり」で一杯飲んでいくよ~と言って店に戻ったぼくに、先ほどのどんぐりママさんが「いまから肉を買ってきて、わたしがとんちゃん作ってあげるよ」と言ってくれるではないか!
 そうしてようやくありついたのが、上に挙げた写真の「対馬とんちゃん」(どんぐりママさんお手製)である。写真がヘタでおいしそうに見えないのはご容赦を。
 ようするに豚の焼肉だ。肉をタマネギなどの野菜と一緒に甘辛のタレに漬け込み、鉄板で焼いて食べる。調理の工程的に漬け込む部分が肝要だから、飲食店がメニューのひとつとして出すというよりは、パック詰めにして精肉店などで売るのがメインの料理なのだろう。
 本場のものはかなり味付けが甘いようで、どんぐりママは「わたしは好きじゃないねー」と言っていた。だから、作ってくれたとんちゃんも、かなり甘さひかえ目だ。ぼくには、その方がちょうどいい。
 このあと、どんぐりママとあれこれ世間話をし、どんぐりパパとは何度も酒を酌み交わしてすっかり打ち解けた。その様子をニコニコと眺めているどんぐりちゃん(可愛い)。酔ったパパさんが言う。「朝はいつも犬の散歩に行くから、あんたも早起きできたら付き合わないか?」と。そんなもん行くに決まってる。

 翌朝、朝5時に起床して、シャワーを浴びてホテルの向かいにあるコンビニへ行く。ここで、昨日のパパさんと愛犬ラークくんと待ち合わせだ。目的地は万松院(ばんしょういん)。万松院は、対馬府中藩宗氏の菩提寺だ。神社仏閣や歴史に疎いぼくにはよくわからないけれど、対馬に来てからタクシーの運転手さんも、どんぐりちゃんも「万松院は見た?」と聞いてくるくらいだから、対馬の名所なのだろう。
 約1時間ほどラークくんを引き連れて厳原の町を散歩し、万松院も見物して、どんぐりパパとお別れした。
 散歩をしている間、ぼくはずっと夢想していた。このままパパさんと仲良くなって、どんぐりちゃんとも愛を育んで、対馬に骨をうずめる人生の可能性を。
 結局、それ以上のことが何も起こるはずもなく、ぼくはまた千葉県に帰ってきたわけだけど、いつかまた対馬に行って、どんぐりを再訪してみたいと思っている。

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