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32 三味線と酒 その2

 芝杏先生に弟子入りして、一ヶ月ほど経った頃。
 唄も3~4曲覚えたので、そろそろ三味線の稽古を始めましょうということになった。といっても、ぼくはまだ自前の三味線を持っていない。とりあえずお稽古するときは師匠の三味線をお借りすればいいのだが、家でも練習できるようにと、師匠は番号が印刷された細長いテープのようなシールをくれた。
 このシールを細長い板か物差しにでも貼り付けて、そいつで運指の練習をせよ、ということなのだ。シールに印刷されている番号は、ギターで言うところのフレットに相当する。
 三味線はフレットレスな弦楽器だけれど、音程として押さえるべき場所は決まっている。棹には小さくその位置が記されている(これを“勘所”という)が、師匠たちはそんなものをいちいち目視しながら弾いたりはしない。長く稽古を積み重ねる過程で身体が勘所を覚えているからだ。
 でも、素人のぼくにそんな芸当はできない。だから、練習用の板にシールを貼り、譜面に書かれた番号と同じ場所を指で押さえて、勘所の位置を身体に叩き込め、というわけだ。
 何事も形から入りたいぼくは、ただの板じゃ満足できなかった。それでホームセンターに行って3センチ角の木の棒を購入してきた。これをちょうどいい長さに切り、ヤスリでカドを削って断面がD型になるように加工。最後に焦茶色のニスを塗ってシールを貼り付け、三味線の棹部分と寸分も違わないものを製作した。翌週、師匠宅に持って行って見せたら爆笑された。

 精神注入棒ならぬ勘所習得棒での練習を続け、入門から三ヶ月ほど経ったところで三味線の購入に踏み切った。師匠が勧めてくれた浅草の店に行き、初心者に適したものを購入する。たしか7万円ほどだったと記憶している。
 ここでひとつ豆知識。三味線といえば、多くの皆さんは「猫の皮」を使うと思っておられるはず。だが、実際に猫の皮を使っているものはそう多くない。いろいろと事情があるのだろう。いまは昔と違って動物愛護の意識も高まっているし、町中を野良猫がうろついていたりもしない。猫の皮なんぞを入手するのは困難だ。
 ただ、猫の皮は音の鳴りが全然違うので、プロは猫を使う。ただし、とても高い。ぼくのような初心者は、安い犬の皮を使う。
 はい、ここで多くの皆さんが「いいい、犬ぅ!?」って思ったでしょう。
 猫はダメで犬ならいい、というわけではないのだが、猫に比べて犬は体躯のサイズが大きいので、1頭あたり多くの皮が取れる。だから値段も安くなる。ただし、猫に比べて皮が厚いので音が鈍い。なので初心者が手にする三味線では犬の革が推奨されている。そればかりは仕方のないことだ。
 ちなみに、カルチャースクールなどで使われている三味線は犬ですらなく、さらに安い人工皮革や合成紙だったりする。
 さて、安物とはいえ本物の三味線を手に入れた。家に持って帰って、組み立てる(三味線というのは分解組み立てが容易にできるように設計されている)。たどたどしくはあるけれど、譜面を見ながらであればなんとか弾ける曲もいくつかマスターしつつある。
 その晩に飲んだ酒のうまかったこと!
 いつもはビールか酎ハイばかり飲んでいるぼくが、三味線を手にしてからは日本酒を飲む機会が増えた。ホント、形から入っちゃう人間としては、三味線越しに見えるのはジョッキやグラスではなくて、徳利とお猪口であってほしいよね。
 一人で飲むのもいいけれど、やはりこういう趣味は大勢で楽しむのがいい。小唄や端唄というのは宴席とも切り離せないもので、入門してからは定期的に師匠を囲んでの飲み会があった。これが楽しかったねえ。飲んで調子が出てくると、当然のように唄や踊りが始まる。ぼくは唄も踊りも苦手だったので、手拍子で盛り上げるばかりだったが、どうにか覚えている曲なら三味線で伴奏もした。

 そういえば、前回「最初は唄の練習だけをさせられることにショックを受けた」という話を書いたが、そもそも三味線を習うために男が入門してくることを、師匠は珍しがっていた。
 そう、端唄というのはお座敷で旦那衆が唄うものであり、それに伴奏をつける三味線は女(芸者さんなど)が弾くものなのだ。だから、端唄の会に入門している男は、ほとんどが唄を習いに来ている。ぼくが入門した芝杏会にも兄弟子が一人いたけど、その人も唄しか習っていない。
 そのせいか、芝杏会の上の階層に位置する栄芝会の会合に顔を出したりすると、三味線を習っている弟子が40数人いる中で、男はぼく一人。しかもこうした世界での40代は若手の部類なので、師匠や姐さん方からは「とみさわくん、とみさわくん♡」とやけに可愛がられた。なので、会の集まりや宴会ではちょっとしたハーレム気分を味わうことができた。まあ、みんなババアなんだけど。
 ぼくは昔から子分肌なところがあって、先輩に頭を下げることを少しも嫌だと思わない。むしろ、そこはかとない快感を覚えたりもする。だから、こうした端唄の会みたいな縦社会に所属することを楽しんでいる自分がいた。
 上の栄芝会の会合で大勢のお師匠さんたちが集まる際には、芝杏師匠の弟子としてぼくは積極的に働く。師匠たちが出入りする際の挨拶はもちろんのこと、師匠たちの草履を揃えたり、お帰りの際には道路に飛び出してタクシーを停めることもする。そういうことをちゃんとやってると、ぼくが褒められるだけじゃなく、「杏ちゃん、あなたホントいいお弟子さんを持ったわねえ」と、師匠が仲間内で褒められるのだ。そうなると、師匠がまたぼくを可愛がってくれる。
 ああ、小学生時代、落語家になるのを早々に諦めたけれど、もしかしてその道に進んでいても、ぼくはけっこう適性があったかもしれないな、と思ったりもした。

 入門から一年が経ったとき、母が民謡踊りの名取りになって10周年ということで、地元の市民劇場で独演会を開いた。ぼくは、その会で師匠と姉弟子と一緒に、母の踊りの伴奏をした。上に挙げたのはそのときの写真だ。
 三味線を習い始めてたとき、密かに「いつか自分の伴奏で母を踊らせてあげよう」と思っていたのだが、その夢がここで叶った。何も親孝行らしいことをしてこない人生だったが、母の晴れ舞台に弦の響きを提供できたのはよかった。これからも、母の民謡と、自分の三味線とで、親子の絆を描いていけたらどれほど幸せだろうか。
 ……と言いたいところだが、それから二年後、8歳になった娘がピアノを習いたいと言い出した。ピアノかー。またお金がかかるんだね。
 三味線も、カルチャースクールで習うなら、月謝以外のお金はかからない。ところが、入門してから知ったのだけど、こうした邦楽の会では月謝以外にもいろいろとお金が必要になる。
 毎年、夏にはお中元、年末にはお歳暮と称して、いくばくかのお金を包まなければならない。さらに、入門して数年が経過すると、師匠から「そろそろとみさわくんも名前を持ったらどうかしら……」と打診される。つまり名取りになれというのだ。もちろん、タダではなれない。それなりの金額を会に納めることになる。
 端唄の名取りとして名前(芝杏の杏の字をもらって「杏なんとか」になるはず)を得ることの喜びは大きかったし、払えないほどの大金ではなかったが、しかし、単なる趣味のつもりでやってきたぼくには、その金額は重すぎる。
 40過ぎのおやじの夢をとるか、8歳の娘の夢をとるか。
 そんなの迷う理由もないよね。
 結局、ぼくは芝杏会を退会し、かわりに娘をピアノ教室に入れた。たった4年ほどの三味線修行だったが、そこで得たものは多い。何より最高の酒が飲めたし、その気分はこれからも失われることのない財産(酒の肴)だから、それだけでも十分だ。

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