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28 シモキタ労働者の空腹を満たすメシ屋

 初めての一人暮らしは28歳のとき、下北沢に借りた6畳の1DKだった。約4年ほどそこに住み、一旦は松戸へ戻るが、仕事上の都合で都内に事務所を設ける必要があって、明大前にマンションを借り直した。明大前と下北沢は近いし、ゲームフリークを退社したあとも仕事は請け負っていたので、なんだかんだと下北沢に通う日々は続いた。
 下北沢でどれほどのメシを食べてきたか、とてもじゃないが数えきれない。米を何升食べたか、というよりも、ぼくの場合は麺を何メートル食べたか、という数え方の方が相応しい。それくらいラーメンばかり食べていた。
 下北沢といえば真っ先に名前の挙がる「珉亭」。腹が減ってるときはラーチャン(半ラーメンと半炒飯のセット)、そうでもないときは江戸っ子ラーメンを食う。昭和信金の向かいにある「麺僧」では肉ニラそば。一番街「一龍」のラーメンは、ちょびっと乗った紅生姜が嬉しい。
 自分一人だと問答無用でラーメンを選んでしまうが、会社の仲間と昼飯を食べるときはそうそういつもラーメンというわけにいかない。

 洋食なら何をおいても「サラダの店マック」。ハンバーグ、ポークカツ、魚フライ、エビフライ、生姜焼き、カニクリームコロッケといったおかずがいろいろ組み合わせられて、A、B、C、D……というランチになっていた。ぼくは食べたことはないが、オムレツも名物だった。注文が入るとスティーブ・マックイーン似のマスターがホールトマトの入っていた空き缶に玉子を割り入れ、シャカシャカ混ぜていた。あと、マックは長年使い込まれた包丁が研ぎすぎて細~~くなっちゃってるのがおかしかった。マスターが引退して下北沢での営業は終了したが、いまは味を受け継いだ弟子が笹塚で店をやっている。
 キッチン南海はカツカレーが名物だが、真の名物はラジオだ。フライヤーの上の棚にトランジスタラジオが置いてあったのだけど、やはり長年揚げ物の油にさらされて、革製のカバーがテカテカになっていた。
 奮発して肉を食おうということになれば、ステーキの「カウボーイ」。大西部時代のサロンのような作りで、ウエスタンハットにカウボーイブーツの店員さんたちが接客していくれる。若き日の有吉弘行がバイトしていたそうで、時期的にぼくが通っていた頃とタイミングが合うから、一度くらいは顔を合わせていたかもしれない。
 カウボーイは食後にコーヒーが付いてくる。いかにもウエスタン風なホーローのマグカップで出てくるので、カップの熱がゴムのコースターを変形させてしまって、テーブルに置いたコーヒーがグラングラン揺れていたのが懐かしい。おれは味よりもそんなとこばっかり見ているな。
 マックと同じビルに入っていたのが「ふらんす亭」。こちらはレモンステーキとカレーが名物の店。熱々の鉄板が嬉しい店だが、例によってぼくの印象に残っているのは、いつも謎の手品師が居着いていたなあということだった。なんだったんだあれは。

 行きがかり上、下北沢のカレー事情についても語っておかなければならないが、ぼくはカレーはあんまり得意な食べ物ではない。下北沢の有名どころでは「茄子おやじ」があって、ぼくらも何度か食べに行ったが、最後までピンと来なかった。ああいう粘度の高いカレーは、必ずと言っていいほど食後に胸焼けするので苦手なのだ。
 スープカレーの発祥は北海道・札幌だと思うが、あるとき下北沢にもスープカレーが上陸してきて、会社の近くに「心」という店ができた。これは食べやすくてずいぶん通ったものだ。スープカレーは「カレー茶漬け」といった趣で、少食&胃弱のぼくでもするすると食べられた。
 そして、そこに満を持しての「マジックスパイス」の出店である。これはびっくりするほど美味しかった。ぼくの特殊な味覚にもバッチリ食い込んで、いまでも下北沢に行くとかなりの確率で食べて帰る。

 と、いろいろと下北沢の食事処を書いてきたが、実はいまでも思い出深いのはラーメンでも洋食でもカレーでもなく、街に点在する定食屋のなんてことのない和定食だったように思える。
 とくに思い出深いのは、駅の南口からまっすぐ行った商店街の途中にある「千草」。カレイの煮付けとか、サバの塩焼きとか、なんてことのないおかずが作り置きされている定食屋で、ずば抜けて美味いわけではないけれど、そこでメシを食っていると、自分も下北沢の一部になれたような安心感があったのだ。
 小田急線線路沿いの2階にあった「松菊」。ここもずいぶん通った。焼き魚定食に納豆をつけてもらうのがいつものパターン。同じようなものは松屋でも食べられるけど、どうせなら100円、200円余計に出して松菊で、というのがささやかな贅沢だ。
 和定食というのとはちょっと違うが、餃子の王将の手前にあった定食の「三福林」も好きでよく通ったな。たしか唐揚げとキャベツとじゃがいもにカレー粉をまぶして油炒めにした鶏ポテトというメニューが異常に美味くて、やたらとメシがはかどったものだ。店はもうないが、仮にまだあったとしても、いまの自分の胃袋では食べきれないだろう。

 ぼくはもう下北沢を離れてずいぶん経つ。駅とその周辺が再開発されたこともあって、下北沢に来る機会も激減した。ここまでに挙げてきた店の大半もなくなってしまった。ギリギリ再開発を逃れた珉亭だって、いつまであそこにあるかはわからない。

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