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29 寄席と酒

 小学生のとき、ほんの一瞬だけど落語家になりたいと思ったことがある。
 学期が切り替わるタイミングで定例の「お楽しみ会」というのがあって、すべての机を教室のうしろへぎっちりと並べてステージを作り、そこで何人かが唄や楽器、あるいは笑い話などの演し物(だしもの)をやる。そのときに、ぼくは落語家風に正座して小噺をやった。
 どんな内容のものだったかはもう覚えていない。たしかテレビの演芸番組で見た落語家のまくらかなんかを真似して喋ったのだろう。それがウケて味を占め、おれってお笑いの才能あるんじゃなかろうか? と思ったのだ。
 まあ、その熱はすぐに冷めるんだけど。

 東京の下町で生まれ育ったので、もしかしたら近くに寄席があったり、芸人が住んでいたりしたのかもしれないが、あいにくぼくの少年時代にはそういうものは目に入らなかった。目につくのは大相撲に関するものばかりだ。
 住んでいたマンションの右隣の部屋は呼び出し兼三さんで、左隣は若二瀬関だった。そのマンションの隣は春日野部屋で、町内には着物姿の関取がウロウロしている。すれ違えば鬢付け油の匂いがする。晴れた日の公園には、洗濯した“まわし”が日高昆布のように干されていた。
 いま円楽一門会が定席としている「お江戸両国亭」がある場所は、かつては岡田というお産婆さんが住んでいて、ぼくはそこで生まれた。そう、馬面円楽(五代)ゆかりの場所は、ぼくにとっての馬小屋なのだ。

 ぼくの興味は漫画に移り、落語家になる夢は早々に捨ててしまったけれど、お笑い番組自体はずっと好きで、『シャボン玉ホリデー』も『大正テレビ寄席』も『8時だョ!全員集合』もずっと見ていた。ドリフは公開生放送まで観に行ったことがある。
 落語は、テレビでやっていればなんとなく見る程度だったが、テレビやラジオから流れてくる三代目円歌の「山のあなあな」とか、初代三平の「ヨシ子さ~ん」とか大好きだった。
 普段、ぼくは落語好きを装ってはいるけれど、実際に寄席へ足を運ぶようになったのはずいぶん遅い。日記で確認すると、初めて寄席へ行ったのは2004年の7月だ。ただし、これは落語を聞くのが目的だったわけではない。両国中学で同級だった女子が、いつのまにか春風亭柳昇の弟子になっていて、春風亭美由紀(当時。現在は小梅美ゆ紀に改名)という名の俗曲師として新宿末廣亭の舞台に立つのを観に行ったのだ。
 これで本格的に寄席にハマった。美由紀の勇姿も素晴らしかったけれど、あの独特の寄席の雰囲気に魅了されてしまった。それで、5日後にこんどは上野鈴本演芸場へ三遊亭歌武蔵を観に行っている。この人は元相撲取りから噺家へ転身した人物だ。はい、ここで両国とつながった!
 以後、ぼくは思いつくままに上野広小路亭、浅草演芸ホール、東洋館、池袋演芸場と、都内の寄席にちょこちょこ通うようになる。しまいには名古屋の大須演芸場にまで出かけて行った。

 さて、これは酒エッセイである。ここまでぜんぜん酒の話が出てこない。
 子供時代は飲まなくても当然だとして、大人になって寄席通いを始めてからはどうしているかというと、これがそんなには飲んでいない。落語には酒を題材にした噺も多いし、落語を聞きながら一杯やるなんて最高なんだが、実は寄席という場所は劇場でもあるからして、飲食にはいろいろルールがあったりする。昔はどこも普通に酒を飲めたしタバコも吸えたようだが、いまのご時世は場内禁煙なのはもちろん、寄席によっては飲食にも制限があったりする。国立演芸場のような格調高いところは当然のように飲食禁止。鈴本演芸場や浅草演芸ホールでは缶ビールなど買えたりするが、あれこれ好きな酒を持ち込んで飲むのはちょっと憚られる。だから、寄席というのは酒場としてのランクは低いのだ。環境は最高でも、酒がそれについてこれない。
 まあ、場内で飲めなくても、寄席があるような土地にはいい味わいの酒場も多いので、寄席がハネたあとに酒場へ寄って、いま聞いてきた噺の余韻で飲むのもいいもんだがね。


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