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03 3メートル×5メートルの天国酒場

 松戸の家に住むようになった頃、親父はトラックを降りた。勤めていた運送会社が近所の印刷会社と業務提携し、親父はそちらで内勤するようになったからだ。定年が近づいてきたので、それまでに交通事故など起こさないようにという、会社側からの配慮もあったのかもしれない。
 事務作業が中心になった親父は、体力が余っているのか、休みのたびに釣りへ行くことが多くなった。年寄りの趣味として、静かに釣り糸を垂れるというのはなるほどわかりやすいが、親父の場合はそんな枯れた釣りではなかった。長さ3メートルはありそうな磯釣り用の太い竿に、アオイソメやゴカイなどの餌を付け、沖に向かって豪快にぶん投げる、いわゆる“磯釣り”というやつだ。
 これまで趣味らしい趣味を持たなかった人間が、ひとたび何かにハマるとえらいことになる。でかいクーラーボックスを買い、竿や仕掛けを揃え、ポケットのたくさん付いたベストまで着込むようになった。それらをクルマに積んで、夜明け前に出かけていく。釣りを終えて帰ってくるのは夕方頃だ。クーラーボックスにはイシモチ、ハゼ、メバルなんかが入っていたように思う。
 クルマで行ったときは、当然のことながら酒は飲めない。たまに電車で行くこともあって、そういうときは釣りをしながら酒を飲みたい気分だったのだろう。
 親父の釣りには、ぼくも何度か誘われた。釣りにはまるで興味がないし、何より足がたくさんある生き物(釣り餌)が大の苦手なので気が進まなかったのだが、まあ話のタネになるかと思い、何度か同行した。
 夜明け前、始発に乗って木更津駅まで行き、港で予約しておいた船に乗る。磯釣りと言うから、砂浜でやるのだとばかり思っていたぼくは、いきなり船に乗せられて驚いた。では、この船で沖合に出て、船上から釣り糸を垂らすのかといえば、それもまた違う。船はどこかの島でも岩場でもなく、沖にポツンとあるコンクリの防波堤に着いた。そこで「ホレ、昭仁、降りろ」と言われて動揺した。
 防波堤は海面から高さ1メートルばかり突き出していて、広さは幅3メートル、長さは5メートルほどもあっただろうか。周囲はぐるりと海。ぼくと親父だけを降ろして、船は行ってしまう。ザザーン。
 こんなところで釣るのかよ!
 携帯電話もない時代だ。何かトラブルがあっても、約束した時間に迎えの船が来るまでは帰れない。よくもまあ、そんなところへ子供を連れて行くよね。ぼくが海に落ちたらどうするつもりだろう。釣具か何かで怪我でもしたらどうするつもりだろう。地震でも起きて津波が発生したら……。

 40年以上も昔のことを、いまさら振り返って心配しても仕方ない。ともかく、防波堤に着いたら釣りの開始だ。仕掛けの釣針に餌を付け(ぼくは自分ではできないので親父にお任せ)、遠くの海に向かって竿をブンッと振り出す。浮きなんかどうせ見えやしないので付けない。
 そうやって3本ほどの竿をセットしたら、親父はここでようやく腰を下ろして、クーラーボックスから缶ビールを取り出す。ぼくは木更津駅の自販機で買ったコーラを入れてもらっておいた。
 プシュッと開けて二人で飲み始める。四方から聞こえる波の水音。日差しは強くても風が気持ちいい。たまらない瞬間だ。親父にとって、ここが天国酒場だったに違いない。
 魚が釣れるかどうかは、それほど重要じゃなかったと思う。防波堤の上で気持ちよく飲むことが第一。それで、たまにアタリが来れば楽しい。
 浮きの代わりに、釣り竿の先端には鈴が付けてある。海中で魚が餌に食らいつくと、糸に引かれた竿の先端がプルプルと震え、鈴が鳴ってアタリを知らせてくれる。そうしたら急いで竿を取り、リールを巻けば魚がかかっている。魚との駆け引きも何もない、非常に雑な釣り方だ。
 防波堤の上には3時間くらいいたかな。とにかく昼過ぎくらいに約束の船が来て、木更津港まで送り返してくれる。
 帰りの電車を待つ間、駅構内の立ち食いそばスタンドで遅い昼飯をとる。ぼくはここで食べる天ぷらうどんが大好きで、釣りすることより、うどんのほうが楽しみだった。

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