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20 どさん子ラーメン東京上陸

 この「フード病」シリーズでも何度か書いているように、ぼくはラーメンが大好きだ。でも、ひと言でラーメンと言っても、土地によって一般的なラーメンのイメージ、味わいは異なる。
 昭和の東京でラーメンといったら、鶏ガラ、昆布、煮干しといった素材で出汁をとった醤油ラーメンが基本で、トッピングは焼豚、ほうれん草、シナチク、ナルト、海苔、ねぎといったあたりだろう。当時はどこの中華そば屋に行ってもそんな感じのラーメンしかなかった。たまに味噌ラーメンや塩ラーメンを出す店もあったかもしれないが、少なくともぼくはそういったものを食べた記憶がない。

 そんな東京のラーメン界に衝撃が走った。「どさん子ラーメン」の上陸である。

 どさん子ラーメンというのは、そのネーミングが示しているように北海道、それも札幌のご当地ラーメンというのが売りで、主なメニューは味噌ラーメンと塩ラーメンであり、そこにバターやコーンをトッピングできるのが特徴だった。バター? コーン? どちらも東京下町の少年には馴染みのないものだ。ましてやそれがラーメンに乗ってるなんて!
 ぼくが初めてどさん子ラーメン食べたのは、たしか小学3年生か4年生くらいのときだったと思う。食べたのは味噌バタコーンラーメン。スープが味噌味だというのも驚きだったが、麺が太めでもちもちしていて、自分の知っているラーメンとはぜんぜん違った。もやしがどっさり乗っていて、スープに溶けたバターがまたうまい。気が付けばあっちこっちに支店ができていて、どさん子ラーメンはあっという間に定着した。
 どさん子の現在の運営会社であるアスラポート株式会社へ取材を試みた記事「札幌にはない札幌ラーメン「どさん子」の正体とは!? さっぽろ単身日記」によると、
〈墨田区でギョーザと中華料理の店を営んでいた創業者の青池保が、百貨店の北海道物産展でたまたま見つけた札幌みそラーメンに魅せられたのが始まりです。独自に研究を重ねて1967年に両国に1号店を開きました〉
 とある。北海道から進出してきたわけではないのが意外だが、小学生のぼくに北海道のイメージを強烈に植え付けたのは間違いなく、どさん子ラーメンだ。1967年に両国に1号店を開いたということは、ぼくはまだ6歳だから幼稚園児だけど、その3~4年後に両国で食べたという記憶と見事に重なる。
 最盛期は全国に1,000店も展開していたそうだが、いまはグッと減ってほとんど見かけることがなくなった。

 どさん子でラーメンの味の他に印象深いのは、店内にアイヌ紋様などの装飾がなされていたことだ。ぼくを含めて、あれでアイヌ民族のことを知った世代は多いのではないか。カウンターの前にアイヌ語を紹介する暖簾がかかっていて、ラーメン食いながら眺めていたもんだ。ぼくの知ってるアイヌ語は、どさん子ラーメンの暖簾と『サイクル野郎』の北海道編に出てきたやつだけ。もっと中川裕さん(アイヌ文化研究家にして、漫画家中川いさみの実兄)の本とか読んで勉強すべきだろうか。

 そういえば、下北沢に住んでいた頃、北口にもどさん子ラーメンがあって、懐かしさのあまり一度食べに入ったことがある。塩バターラーメンを頼んで、出てきたラーメンのスープを啜る。ところが、味がしない。いや、なんらかで出汁をとったであろう風味はある。でも肝心の塩味がまったく感じられないのだ。
 これはいったい……? 店主のミスなのか、ぼくが味音痴なのか。言うべきか、言わざるべきか。もし「これ味がしないよ」なんて言って、店主に「アンタうちの味に文句つけようてのか!」と『タンポポ』に出てくるラーメン屋のおやじ(久保晶)みたいなこと言われたらどうしよう。
 数分迷って、恐る恐るドンブリを差し出して言ってみた。
「これ、味がしない気がするんですけど……」
 店員さん、怪訝な顔をしてレンゲを手にスープを一口飲む。その瞬間、ハッとした顔で「失礼しました! 作り直します!」と言った。
 ぼくは腹が立つよりも、こんなことってあるのかと、おもしろくなってしまった。

 どさん子ラーメンは最盛期ほどではなくとも、まだ100店ほどはあるらしい。北千住や亀有にもあるので、近いうち食べに行ってみよう。

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