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51 永福町で最後の晩餐を

 つい先日、音楽マニアやレコードコレクターが集まるイベントに参加した際、そこで出た話題のひとつに「無人島レコード」があった。すなわち「無人島に流されるとき1枚だけレコードを持っていけるとしたら、誰のどの盤を持っていくか?」というやつだ。
 ぼくだったら、そうねえ、ドノヴァンでもトノバンでもなく、迷わずタンジェリンドリームの『フェードラ』を選ぶだろう。これまでの人生で間違いなく30回はターンテーブルに乗せ、40回はカーステレオに突っ込み、50回はiPodで再生している愛聴盤だ。
 というような話を、食エッセイを読みに来ている人たちが望んでいるとは思えないので話題を変えますが、食における無人島レコード的なるものといえば、やはり「最後の晩餐」だろう。地球が終わるのか、自分の寿命が尽きるのかは知らないが、とにかく人生最後の日に何を食べたいか? 今回はそんな話をしてみたい。

 では、いまから3分ほど時間をあげますので、皆さんも自分にとっての最後の晩餐を考えてください。といっても複雑な献立を考えるんじゃなくて、「どの店の、どのメニュー」くらいの簡単なやつがいいですよね。

 カッチ、カッチ、カッチ、カッチ……チーン(3分)。

 ぼくはずっと前から決めていたので、即答できる。地球最後の日に食べたいのは熱々のラーメン。それも永福町大勝軒の「中華麺」。これしかない。
 そんな、お前がいつも食ってるものをわざわざ地球最後の日に食べるのか? と呆れる方も多いだろうけれど、いつも食ってるからいいんですよ。
 永福町は、決して我が家からは近くない。それでも、しょっちゅう食べに行きたくなるほど愛してる。だから、地球最後の日にも食べたい。地球はその日で終わってしまうかもしれないけれど、ぼくの気持ちだけはいつもと変わらぬ日常が続いている。その願望を象徴するのが永福町の、大勝軒の、中華麺というわけなのだ。
 そんな終末的な状況において町のラーメン屋が通常営業してるのか? という疑問もあるけど、無人島にだってそもそもターンテーブルはないし、電源も来てないんだからレコードなんか聴けやしない。なので、お互いそういうことは言いっこナシだ。

 永福町大勝軒の中華麺(本店はラーメンではなく「中華麺」と表記している)を愛して止まないぼくだけれど、その味を初体験したのは、実は本店よりも昭島店が先だった。
 1997年に結婚して、昭島市にある妻の実家で同居を始めたから、そこで妻か義理の姉さんにでも大勝軒の存在を教わったのではないか。あるいは、昭島の駅前にちょっとおもしろい品揃えの古本屋があり、そこへ頻繁に通っていたので、その過程でたまたま入店したのかもしれない。
 いや、立川在住のトレカ仲間で、やはりラーメン大好きの奥田くん(通称:映ちゃん)から教わったような気もする。まあ、きっかけはなんでもいい。
 とにかく、初めてその現物を目の前にして、ぼくは少したじろいだ。とにかくドンブリがでかい。そして麺量が多い。デフォルトで1.5玉はあったのではないか。少食のぼくはもうそれだけでビビってしまう。
 ところが、魚介をベースにしたスープが完璧に好みの味で、また本店同様に草村商店の麺がすこぶるおいしかったために、苦しいながらも完食できた。のちに永福町本店に行ってみると、あちらはさらに量が多く(デフォルトで2玉)、昭島以上にぼくの胃袋は脅かされた。
 永福町で中華麺を食べるにあたって、最初の頃は少しだけ麺を食べ残していたけれど、慣れるうちに平らげることができるようになった。スープは、塩分の過剰摂取を避けたいのでハナから飲み干すつもりがない。少し前から永福町では「麺少なめ(1.5玉)」もやってくれるようになったけど、料金は割引にはならないので、なんとなく釈然としない。
 大勝軒はスープが熱いという人もいる。たしかに大きなドンブリにたっぷりのスープが入って、しかも表面にはラードが膜を張って熱を封じ込めているから、最後まで冷めにくいのは確かだ。
 でも、最初の温度がことさら灼熱というほどではないので、マグマ舌のぼくはあまり熱いとは感じない。

 ラーメンマニアなら誰もが知っていることだけれど、それを知らずに混同している人がたまにいるので念のため書いておくと、永福町の「大勝軒」と東池袋の「大勝軒」は、同じ店名ながらまったくの別物だ。ルーツ的には同じ店からの枝分かれらしいのだけど、ぼくの味覚では永福系と東池袋系の味は似て非なるものなので、一緒にされたくはない。
 初めて訪れる町に「大勝軒」があり、うっかり入店したら東池袋系だったという失敗は過去に何度かやらかした。あるいは、永福系の暖簾分けでありながら、一ノ割店や大宮店のように、永福町本店とは異なる麺や異なる味わいの店も少なくないので、油断がならない。
 むしろ、柏の「大勝」や我孫子の「桂」のように、大勝軒を名乗っていないのに本家に限りなく近い味の店もある。こうした店と出会えるのは嬉しいサプライズだ。

 永福町大勝軒は、中華麺の製造・卸を営んでいた草村賢治氏が1955年に開業した。以来、幾度もの味替えを試みながら、都内でも屈指の人気店に育て上げてきた。残念ながら草村氏は2018年に鬼籍に入られ、いまは息子の草村豊彰さんが継いでいる。この方が、ぼくにはどことなく平沢進に似ているように思えてならない。P-MODELファンのぼくはすっかり気に入ってしまって、カウンターで中華麺ができるのを待つ間も、チラチラと豊彰さんが調理場で立ち働く様子を眺めている。
 彼が寸胴のスープをでかいヘラでかき混ぜている姿を見ると、どことなく平沢進が自作の謎楽器「チューブラHz(ヘルツ)」をガッコンガッコンいじくっている姿とオーバーラップして仕方ない。

 いつか、地球が滅亡するのは避けられないとしても、できることなら日本は最後にしてほしい。その中でも杉並区を最後にしてほしい。そして永福町をいちばん最後にしてほしい。

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