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18 辛口玉子とじラーメンの思い出(下北沢編1)

 若い頃から泊まり癖があって、ことあるごとに友達の家やアパートに泊まっていたし、『よい子の歌謡曲』に参加してからは週末ごとに編集部へ泊まり込み、ライター仲間と事務所を作ってからは、ほとんど家に帰らず事務所に寝泊まりしていた。
 そんなぼくでも、自分一人で家賃を払ってアパートを借りたことはなかった。だからゲームフリークと出会い、彼らの事務所がある下北沢にアパートを借りたのは、生まれて初めての一人暮らしの始まりでもあった。
 下北沢の駅から徒歩10分。小さなキッチンとユニットバスの付いた6畳一間のアパートだ。家賃はたしか7万円弱。当時の自分の経済状況ではちょっと背伸びをしている。
 近くに住んでいる大家さんが「入居祝いに」と、2合炊きの小さな炊飯器をくた。自炊なんてしたこともないし、するつもりもなかったが、せっかくだから何か作ってみるかと、好物のおでんを煮るための鍋と、食べ残しのごはんを炒飯にするための中華鍋を買った。いまでこそ、YouTubeのおかげで中華鍋の正しい使い方を理解しているが、この当時は中華鍋の育て方を知らないまま使っていたので、何度やっても焦げつかせてしまう。結局、うまく使いこなせず1年ほどするうちに嫌になって処分してしまった。

 中華鍋といえば、当時よく通っていたのが「南ばん亭」という町中華だった。茶沢通りと梅ヶ丘通りの交差点に店があり、アマチュア時代のゲームフリークの事務所もすぐ近くにあった関係で、腹が減ったらみんなでよく食べに行ったものだ。
 ここは何を食ってもうまかったが、いちばんの名物は「南ばん麺」という独特なラーメンで、鶏ガラの塩スープをベースに、たっぷりのニンニクと挽肉、それを玉子とじにして、仕上げに韓国産の粗挽き唐辛子がたっぷり入っている。簡単に言えば辛口玉子とじラーメンということになるだろうか。これがなんとも言えないうまさで、ニンニクの効いた刺激的な味付けはビールのお供にもピッタリだった。
 南ばん麺の辛さは「おさえめ」「ふつう」「中辛」「メチャ辛」の4段階ある。韓国産の唐辛子は旨味が強いわりに辛さは控えめなので、メチャ辛でもそこまで辛くはない。だから、ぼくは体調のいいときはメチャ辛ばかり頼んでいた。注文すると、女将さんが厨房で鍋を振るう大将(たぶんご主人)に向かって「メチャで~す」って呼びかけるのが可愛くて好きだった。この女将さんがどことなく倍賞美津子に似ていたので、ゲームフリークでは勝手に「ばいしょう」と呼んでいた。
 余談だけど、ぼくはいつも倍賞姉妹(千恵子と美津子)のどっちが姉でどっちが妹だったかわかんなくなる。千恵子さんは『男はつらいよ』で妹さくらを演じていたから妹のイメージがあるけど、現実には姉。美津子さんは猪木の妻だったので姉御っぽさがあるけど、実際には妹。だから混乱してしまうのだろう。ホントにどうでもいい余談だったね。
 さて、ばいしょうが注文を伝えると、厨房の大将(こちらは俳優の岩尾正隆に似てた)はおもむろに南ばん麺を作り始める。手順としては、麺を茹で釜に投入する一方で中華鍋をセットし、粗く刻んだニンニクとひき肉を炒めていく。具材に火が通ったらスープを流し入れ、仕上げに溶き玉子を入れる。このとき、玉子を溶くのが茶碗とかではなく、業務用トマトピューレの空き缶だったのがやけにおかしかったことを覚えている。
 そんな光景も含めて、南ばん麺は長いあいだ自分にとってのソウルフードだったのだが、後年になって驚愕の事実を知る。

 それは2004年のことだった。ネット上にmixiというソーシャルネットワークサービス(SNS)が登場した。当時はまだFacebookもTwitterもなかったので、mixiこそがぼくにとってのSNSの入り口だ。
 mixiでは、仲のいい友達とネット上で交流できるのも楽しかったが、疎遠になっていた旧知の知り合いと再会できるという利点もあった。また、これまで面識のなかった人とでも、共通の趣味やコミュニティを通じて友人になれた。そうやって仲良くなった友人の一人に、当時レオパルドンという音楽ユニットをやっていた高野政所(a.k.a DJ JET BARON、プロハンバーガー)くんがいる。
 川崎出身の彼は、地元のソウルフードである「ニュータンタンメン」を激推しするコミュニティを運営しており、ニュータンタンメンがなんなのかよくわからないぼくも、政所くんの書く文章が読みたいので参加していた。
 で、あるとき用事があって蒲田に行ったところ、たまたまニュータンタンメン蒲田支店の前を通りかかった。「あっ、これが政所の大好きなニュータンタンメンか!」と気づいて入店し、問題の「ニュータンタンメン」を食べてみたのだ。そして大変なショックを受ける。
「これ、南ばん麺じゃねえか!」
 そうなのだ。ぼくの中で記憶の奥にある南ばん麺と、政所くんのコミュニティで語られているニュータンタンメンが同種の辛口玉子とじラーメンとして結びついていなかったのだが、実食してみると、微妙に味は違うけれど、基本的には同じものだった。というか、ニュータンタンメンを提供しているのは「元祖ニュータンタンメン本舗」という店で、辛口玉子とじラーメンとしてはこちらこそが元祖だったのだね。
 下北沢の南ばん亭はすでになくなってしまった。あとは中野坂上から下落合へ移転した一軒しか残ってない。けれど、元祖ニュータンタンメン本舗は現時点で神奈川県を中心に47支店もある。そのうち都内にも9支店あり、千葉県にだって2支店ある。もう、いつだってあの麺とスープをつまみにビールを飲ることができるのだ。

※ヘッダーの写真は、Googleストリートビューで見た下北沢の南ばん亭の跡地。看板の店名はかすかに残っているが、居抜きで全然違う店が入ったようで、壁には「BAGEL」「COFFEE」なんて文字が見える。諸行無常である。

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