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43 ぼくの東京三大煮込み

 酒飲みの世界で「東京三大煮込み」と言ったらどこだろうか?
 パッと検索してみれば、すぐに月島「岸田屋」、北千住「大はし」、森下「山利喜」の名前が挙がる。なんでも酒場ライターの太田和彦氏がこの三軒を東京三大煮込みであると提唱したらしい。あいにくぼくは岸田屋には行ったことがないが、たびたび書いているように山利喜は生家のすぐ近くにあるため、子供の頃から煮込みの味にも馴染んでいる。北千住の大はしは豚もつではなく牛すじの煮込みだが、三大煮込みに顔を並べていてもまったく引けを取らない旨さだ。
 これに立石の「宇ち多"」、門前仲町「大坂屋」を加えて五大とする説もあるが、こうなると先週の「北海道三大ラーメン」みたいなもんで、各人の好みを挙げていったらキリがない。酒飲みが100人いたら、100通りの三大煮込みがあって然るべき。食い物なんて自分の舌を信じるしかないものなのだ。

 と、言ってるそばから自分の好みを押し付けるが、もつ煮込みには何を入れるべきか? どこまでをもつ煮込みの具として許容するだろうか? これもまた重要な問題である。
 ぼくにとってのもつ煮込みといえば、豚もつは当然として、あとは豆腐が必須。絹ごしでも木綿ごしでもかまわないが、どちらかといえば絹派だろうか。それからコンニャクも入っていると嬉しい。
 その一方で、絶対に許せないのがニンジン、大根、ゴボウといった野菜類だ。これらが入っているともう食べる気が失せる。勘違いしてほしくないのは、野菜が嫌いなわけではないということだ。飲み屋で野菜を食べたいならお煮しめを頼むし、なんなら生野菜だっていい。でも、もつ煮込みには入っていてほしくないのだ。

 そうした好みを考慮して、自分にとっての三大煮込みを並べてみるならば、チェーン店の「加賀屋」、亀有「江戸っ子」、住吉「和」の三店ということになるだろうか。
 関東在住の酒飲みで加賀屋の煮込みを食べたことのない人はいないと思うが、どこの支店で頼んでも常にあの味で安定しているというのが頼もしい。豚もつと豆腐のみという鉄壁の布陣で、ほどよい豚の臭みと旨み。熱々の土鍋で出てくるというのもありがたい。
 江戸っ子もまた、豚もつと豆腐のみ。あと共通しているのは薬味のネギ。で、豚もつを減らす代わりに同一料金で「豆腐多め」が注文できるのもありがたい。肉類に価値を感じる人にとっては損した気がするかもしれないが、ぼくは豆腐で飲めてこそ酒飲みは一人前と思っているので、何も問題ない。いつか「豆腐のみ」を頼んでみたいものだ。
「和(かず)」の煮込みは、たまたま出会った幻の逸品だ。住吉には「山城屋酒場」という有名店があり、ぼくも最初はそちらが目当てで住吉に通っていたのだが、あるときもう一軒寄って行こうと住吉の街をふらふら歩いていて、ここの赤提灯を見つけた。
 壁のメニューにあった「塩煮込み」を頼んだらびっくりするほど美味しくて、それから5年後くらいに記憶を頼りに再訪したら、メニューのどこにも煮込みの文字はなかった。ご亭主に煮込みはないかと尋ねてみても「うちは煮込みはやってないねえ」とつれない返事で、狐に鼻をつままれたような気がしたものだ。あれはぜひもう一度食べてみたい……。

 まるでマザコンのようなことを言うが、じつは煮込みといえばうちの母が作る煮込みがこの世でいちばん美味いと思っている。豚もつ(小腸)を1キロ買ってきて、二度、三度と茹でこぼしをして臭みを抜き、じっくり時間をかけて味噌で煮る。母は豚もつ以外は何も具を入れないので、これがぼくにとってのもつ煮込みの基準となってしまった。ただ、個人的には豆腐がほしいので、自分が食べる分だけ別鍋に取り分けて、豆腐を足して煮込んだりしている。
 数年前、母がいつ死んでもこのもつ煮込みだけは食べられるようにと、作り方を教わって自分で再現してみたことがある。ところが、何度味見をしても、あの母の味にならない。
 結局、外出から帰ってきた母が味見をして、少しだけ味噌を足したらピタリといつもの味になった。味噌は、これ以上入れたらしょっぱくなりすぎるかも、というところまで入れていたはずなのだが、微妙に足りなかったようだ。
 以来、もつ煮込みを自分で作るのは諦めた。無理して自作しなくても、江戸っ子か加賀屋に行けばいつでもうまいのが食えるわけだし。


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