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36 基地の街の韮菜万頭

 ぼくは1997年の夏に結婚した。相手は東京都昭島市に父親と二人で暮らす女性。彼女は三人姉妹の真ん中で、姉と妹はすでに嫁いで家を出ていた。母親は数年前に病気で他界しており、実家に残された彼女は家業である工務店の事務職をしながら、父親の身の回りの世話もしているという状況だった。

 その家へぼくは転がり込む。いまから20年以上も前のことだ。

 当時のぼくは、社会における男女の地位の格差などよく理解していなかったから、結婚したら妻が夫の籍に入るのは当前のことだと思っていた。そういう教育を受けて育っていた。
 ところが、いざ自分に恋人ができて結婚をするという段になったとき、彼女は「苗字を変えたくない」と言い始めた。
 彼女の苗字は日本でも非常に数の少ない珍名さんだ。そのためか、幼い頃から愛着のあるその苗字を、結婚するからといって変えたくはないと彼女は言う。その気持ちはとてもよくわかる。
 ぼくの本名は「富澤(とみざわ)」というわりとありふれたもので、子供の頃から好きでも嫌いでもなかった。どちらかといえばあんまり好きじゃなかったと言ってもいい。だから、ペンネームを付ける際に濁点を取って「とみさわ」にしたのだ。まあ、そんな話はどうでもいい。
 ぼくは「だったら、おれが●●(彼女の苗字)になろうか?」と言った。富澤昭仁なんてつまんない名前を捨てて、●●昭仁になれるのだ。その方が断然いいではないか。彼女はとても喜んでくれた。
 しかし、その提案は富澤辰雄さん(父)によってばっさり却下された。曰く「うちはなんの家業もやってないが、いちおうお前は長男なんだから、富澤でいてもらわなきゃ困るんだ」と。
 うーん、納得はできないけど、親父のような世代がそういう考えであるのも理解はできる。というか、この親父を説得できるほどの改名の理論を、当時のぼくは身に付けていなかった。だから、結局は彼女が泣く泣く自分の主張を引っ込め、富澤の籍に入ってもらうことになった。以後、ぼくはずっと彼女に対して負い目を感じることになる。
 話が長いですね。とにかく、ぼくは富澤の苗字を名乗ったまま、妻の実家で同居することになった。磯野家のフグ田マスオさんみたいなものだ。

 さて、晴れて昭島市の住人になった。そうなると、今度は持ち前の好奇心がもたげてくる。これまで昭島市、多摩地区、西東京といったエリアにはまったく縁がなかったが、いざ周りを見渡してみると、東京の東側や千葉県松戸市にはなかったものが見えてくる。
 その代表的なものは酒蔵だろう。23区にはたったの1社しかない酒蔵が、多摩地区には澤乃井、千代鶴、多満自慢など9社もある。新婚時代には、これらの酒蔵を順番に訪ねてまわった。見学して、試飲して、お土産に酒を買って帰る。最高ですな。
 そして多摩地区を代表する巨大な施設といえば、何をおいても米軍横田基地である。総面積7千キロ平方メートルの治外法権。
 メインゲートのすぐ近くに義姉夫婦が住んでいた関係で、結婚してしばらくは横田基地周辺へ遊びに行くことが多かった。通常は基地の中に立ち入ることはできないが、周辺には輸入雑貨屋が立ち並んでいて原宿より楽しかったし、年に一度オープンハウス(友好祭)のときだけは基地内にも自由に入ることができた。そこには、これまで体験したことのない楽しさがあった。

 そして、横田基地周辺で体験した様々な驚きのうち、とくに印象深く記憶に焼きついているのが「韮菜万頭(にらまんじゅう)」との出会いだった。
 韮菜万頭というのは、際(きわ)コーポレーションが1991年から運営する本格中華レストランで、ぼくが結婚した当時はまだ多摩地区に「万豚記」と「虎萬元」と「紅虎餃子房」しかないローカルチェーンだった。それがあれよあれよという間に支店を増やし、いまではグループ総店舗数は400オーバーのモンスター企業となっている。
 義姉さん夫婦ら地元民にとっては、近所の中華料理屋かもしれないが、初めてそこを訪れたぼくは、漢字だらけな店名のセンスにも、漢詩か何かが筆でばばばーっと書き殴られている店の内装にもびっくりした。それまで中華料理といったら餃子の王将くらいしか知らなかった人間が、いきなり韮菜万頭に連れて来られたのだ。こんな米軍基地の街に、本場中国の店をそのまま持ってきたとしか思えない中華飯店があるのを目の当たりにしたのだから。
 韮菜万頭の名物メニューは、店名にもなっている「韮菜万頭」だ。メインの材料は豚ひき肉と韮(ニラ)。それを小麦粉の皮で包んでいるわけだから、トポロジー的には餃子や小籠包と大差はない。でも、韮菜万頭はこの横田基地の真ん前でしか味わえない不思議な風味がある。一度、大きめの餃子の皮を買ってきて真似して自作してみたこともあるが、あの味を再現することはできなかった。
 2011年に妻と死別したこともあって、それ以来、昭島や福生を尋ねる機会は減った。それは仕方のないことだ。だけど、前述したように際コーポレーションは全国各地に支店展開している。「万豚記」でも「紅虎餃子房」でも、身近なところへ行けば韮菜万頭は食べられるのだ。実際、何回か食べに行っている。だけど、あの最初に食べたときに衝撃を受けたのと同じ味はしない。
 ぼくにとって韮菜万頭の味は、きっと新婚時代の思い出と切り離すことができなからなのだろう。

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