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22 うるさいラーメンと静かなラーメン

 ラーメンネタが続きますが、今回はそのビジュアルの話。
 前々々回の「19 同じものばかり食べている」では、ラーメン好きな自分を「新店ができたからといっていち早く駆けつけたりはしないし、未知のラーメンの味を求めていたりもしない」と書いたが、たまには初めての店に足を踏み入れることもある。ただし、まったく情報がない状態でそんなことはしない。ぼくが未食のラーメンにチャレンジするときの条件のひとつは、「見た目が自分の好みかどうか?」だ。
 見た目って、わかりにくい話ですなー。
 でも、食は味=味覚だけではなく、嗅覚、触覚、視覚、聴覚の五感で味わうもの。なかでもぼくは視覚を大事にしている。とくにラーメンは、見た目で美味しそうに見えなければ食べたいとは思わない。逆に、Twitterのタイムラインで見た目的に惹かれるラーメンが流れくると、即座にブックマークし、あとで店の詳細を調べて食べに出かけることがよくあるのだ。

 ぼくはTwitterに依存しているから、旅行に出かけたときも自分がいまどこに来ているかをちょいちょいつぶやく。あれを食べた、これを食べたということもつぶやく。
 基本は綿密な下調べをして行くけれど、ごく稀にノープランなこともある。そんなとき、フォロワーの方から「とみさわさん、◯◯県に来ているなら△△軒のラーメンがお勧めですよ!」とアドバイスをいただくことがある。
 でも、そのアドバイスが役に立つことはまずない。普通の人がうまそうだと思うラーメンと、ぼくがうまそうだと感じるラーメンが違いすぎるからだ。
 教えられた店の名前で食べログを検索してみる。するとラーメンの画像がズラズラ出てくるが、かなりの確率でそれらのビジュアルはぼくの好みとかけ離れている。ぼくのストライクゾーンはとても狭い。その狭さを説明するのは困難だが、なんとか伝わりやすくしようと文字にしてみたのが、今回のタイトル「うるさいラーメンと静かなラーメン」だ。

 世間の大半のラーメンは、ぼくには「うるさい」んですよ。漢字にすると「五月蝿い」。メンマだ青菜だ水菜だ焼豚だと、具をゴチャゴチャと乗せすぎている。焼豚も一種類だけでなく、わざわざ豚と鶏の2種類を乗せたりする店まである。ああ小賢しい。
 たとえ味がいいのだとしても、見た目がうるさい時点でそのラーメンへの食欲は瞬時にして失せる。見た目だけで判断せずに、食べてみてから言ってよ、というご意見はもっとも。でも、ぼくは過去にそういうゴチャついたラーメンを何度も食べ、何度もがっかりさせられてきたから言ってるのだ。
 うるさいラーメン、絵画に例えるならキュビズム期のピカソのイメージと言えばいいだろうか。逆に、ぼくが好む静かなラーメンというのは、モネやスーラなど印象派のイメージ。
 ドンブリの中にあるのはスープと麺。具は1種類か、せいぜい2種類あればいい。究極的には麺とスープだけで、それ以外に余計なものは何も乗っていないくらいでもいい(実際にそういうものを出す店もある)が、さすがにそこまでいくと味気ない。たとえば焼豚を乗せるなら、大ぶりのものをゴロンゴロン入れるのではなく、細かく刻んで薬味のようになっていると嬉しい。具材がスープに混然と溶け込んでいて均一の景色を成す。そのビジュアルはただただ静謐であってほしい。
 ぼくが頻繁に足を運ぶ店を挙げていこう。川崎発祥の「ニュータンタンメン本舗」、浅草「十八番」のニラそば、高円寺「じもん」の勝浦タンタンメン、神保町「新世界菜館」挽肉辛子麺、飯田橋「高はし」の中華そば等々。これらの麺を画像検索してもらえれば、言いたいことがわかってもらえるかもしれない。
 ぼくが過去に見てきた中で、いちばん心を奪われたのは本厚木「ラオシャン」の月見タンメンだ(※ヘッダー写真参照)。なんと美しいラーメンだろうか!

 しかし、このビジュアルを基準にしたラーメン選びにも、問題がないわけではない。見た目が好みだからって、その味が必ずしもぼくの舌に合うとは限らないからだ。視覚の満足感と、味覚の満足感。難しい問題ですね。

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