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12 編集部に棲む妖精と深夜の雪だるま

『よい子の歌謡曲』に参加するようになり、いよいよ歌謡曲を肴にした酒宴が増えていく……と言いたいところだが、意外とそうでもなかった。いま振り返っても、『よい子』時代にあまり酒を飲んだ記憶がないのだ。

 まず、編集部(中野の裏通りにある6畳一間のアパート)には、編集スタッフ兼ライターのUくんが入り浸っていた。というか、ほとんど住んでいた。彼はかすみを食って生きる仙人のような存在で、ほとんど仕事もしていないから金もなく、主食は近所のパン屋で手に入れたパンの耳で、たまの贅沢はチキンラーメンだった。
 しかし、編集部にはガスコンロもなければ、鍋もないし、ラーメンどんぶりもない。それでどうやってチキンラーメンを作るかというと、直径15センチほどの円筒形の空き缶をどんぶり代わりにして、そこへユニットバスの蛇口から最大に熱くしたお湯をいれる。「最大に」とは言っても所詮は風呂のための湯沸かしだ。せいぜい50~60度くらいのもんだろう。当時からすでにマグマ舌のぼくは、彼がラーメンを啜るのを見て「ぬるそうだなあ……」と思っていた。
 ともかく、そんな仙人のような、あるいは妖精のような存在を前にして、ぼくだけが酒とつまみを買ってきて飲み食いするのは気が引ける。彼に奢ってやるというのも、向こうから頼んできたのでない限りは失礼なことになる。
 ぼくが編集部でお酒を飲んだ記憶がないのは、そういうわけだ。
 まあ、そもそも『よい子』時代は、ぼくだってそれほどお金に余裕があるわけではなかった。給料の安い会社で、出世も目指さず、残業代もあてにせず、定時で退社して趣味に時間を割いていた。週末になれば編集部へ行き、Uくんや他のスタッフとだらだら歌謡曲の話をして夜を過ごし、休みが明けたら家に帰る。そんな生活の繰り返し。

 それなりの時間が経過して、ぼくの立場が「定期的に遊びにくる投稿者」から「それなりに常駐する編集スタッフ」という位置付けになった頃。相変わらず編集部の中で酒を飲むことはなかったが、徹夜作業をしているときなどは、すぐ近所のラーメン屋に夜食がてら飲みに行くことが多くなった。
 その店は「雪だるま」といって、5年ほど前に店の前を通りかかったらまだ看板があった。夜しかやっていない店だったで、いまでも営業しているのかどうかはわからないが、あることはある。
 当時の『よい子』の発行人を務めていた加藤秀樹くん(現在のペンネームは宝泉薫)と急速に親しくなった頃で、よく深夜に二人で飲みに行った。
 マスターはちょっと田中要次にも似た強面のナイスガイで、キャベツをザクザク切って作ってくれるタンメンがすごく美味かった。飲むのは瓶ビールが多かったかな。タンメンを食ったあと、残った汁をちびちび啜ってビールを飲む。深夜の常連仲間にはオカマのアッコさんという人もいて、話題が豊富な愉快な人だから、ぼくらもすっかり仲良しになった。
 あるとき、フラリとやってきた一見客が、すでにけっこう酔っていてめんどくさくなっており、マスターもぼくらも苦々しい思いをしていたのだけど、そいつが退店するとき捨て台詞的にアッコさんをからかった。すると、マスターが出刃包丁を持ったまま外へ飛び出し、その客を怒鳴りつけた。かっこよかったなー。
 加藤くんとは、そのあともよく一緒に飲みに行った。早めに編集作業が終わったときは、一緒に編集部を出て、てくてく歩いて中野駅まで行く。どちらからともなく「今日もちょっと飲んで行く?」なんて話になると、中野の駅前の居酒屋に入る。
 当時、南口のロータリーの角に、小さな小料理屋があった。
 そこはカウンターしかない店で、女将さんは割烹着のよく似合う和装の美人。まるで久世光彦のドラマに出てきそうな店だ。

「お二人は学生さん?」
「いえ、この近くに仕事場があって」
「あら、どんなお仕事なさってるの?」
「えーと、ちょっと雑誌の編集を……」

 まあ、嘘じゃないよね。
 加藤くんとこの店に行ったのはその一回きりだけど、そのあと自分一人でも何回か顔を出した。女将さんをちょっと好きになっちゃったからさ。ぼくには飲み屋の女性に惚れちゃう悪い癖があるんだ。
 こういう店の女将といい仲になり、閉店間際になるとやって来て、カウンターの端っこで独りちびちびと飲みながら、最後の客が帰るのを待つ。そんな藤竜也みたいな人生も有りだよなあ、なんてことを夢想したが、もちろんそんな人生にはならなかった。

※写真は数年前に近くを通りかかったときに撮った「雪だるま」。まだ暖簾があるので、夜に行けばやってるのかもしれない。

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