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たとえ壊れてしまっても

ひとと電話しながら、創作に向き合いながら、考えごとをしていたら、朝が近づいていた。

私は、何に悩んでいるのか、自分でもよく分からないのだけれど、ここ数時間、自分が壊れているような気がした。というか、確実に壊れていた。自分で自分を壊しにかかっているような感覚が、あった。

なにもかもすべて、物事というのは、捉え方の問題であるのだとつくづく思う。私が良い方向に考えればとても良いものだし、悪いものだと思えば悪いものなのである。

例えば、私はいま、眠りもせず、やるべきこともやらずに呑気にここで思考を整理しているわけであるけれども、この行為は今後の自分のためだと思えば良いものであるし、ただの現実逃避だと考えてしまえばそれは悪いものになる。

いま私のなかで漠然とあるもやもや事に対して、何か悪い意味をつけてしまうと、たぶんこの先私はなにもかもが辛くなるだろう。だから、良い意味で終わらせたいのだ。でも、それが果たして正しいことなのかと言われると確実にはいそうですねとは言えない自分もいる。であるから困っているのだ。

自分の気持ちに素直に寄り添うことが、いちばん大事なことのように思う。うん。そうしよう。私は、私が好きなように考えればいい。それだけの話だ。

にんげんがだいすきだ。大好きなひとが沢山いる。私は、私と大切なひとたちをずっとだいすきでいたい。たとえ自分が壊れてしまっても。好きでいたいのだった。

そろそろ眠たくなってきたので、ここまで。

おやすみなさい。いい夢を。

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