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おかあさんはいつもいなくて

大人になった娘との会話


娘が20歳を越えて、最近ちょこちょこ一緒に飲めるようになりました。まあまあ色んな話をします。最近気になる映画、ドラマ、漫画、授業で腹がたったこと。友達との会話。うちの母(娘の祖母。でも、本人が嫌がったのでおばあちゃんではなく、みんなから「ママちゃん」と呼ばれています。)が最近股関節変形症の手術をしてリハビリで入院しているので、ママちゃんのこととか。

「そういえば、参観のお父さん、お母さんへのメッセージビデオで、ほとんどの子が「おかあさん、いつもおいしいごはんをありがとう」とか言ってるのに、あんたは「おとうさん、病気のときにそばにいてくれてありがとう。ママちゃん、いつもおいしいごはんをありがとう。おかあさん、いつもいなくて腹がたちますが、おしごとがんばってください」って言ってたな。」(私)
「そんないっつもいなかったわけじゃないと思うんやけど、おとうさんは朝送りで、おかあさんがいっつも迎えやったから、いっつもおかあさんがいない、待っているっていう記憶が強かったんやと思う」(娘)
「ママちゃんといっつもベットの部屋の窓からお母さんが帰ってくるのを待ってたやろ」(娘)

子どもたちが保育園時代の話


そう、うちは朝の送りはずっと主人。迎えは私。そして、週5日の迎えのうち、月曜日と木曜日の迎えは母がずーっと来てくれていて、保育園から帰ってきた子どもたちはいつも母と私を待ってくれていたのでした。母はうちまで1時間位かかるのに、娘が高校を卒業するまで、スウェーデンに赴任していた2年以外、娘が0歳の時からずっと家に毎週通ってくれていたのです。

私は母が家にいてくれる日は、家はきれいに片付いているし、ご飯はできているし、ホッとする気持ちしかなくて、心安らかにいつも帰宅していて、娘がそんな日も自分を心待ちにしてくれている、という記憶はなかったのですが、娘は、そんな日もいつもママちゃんと、そして弟ができてからは弟と三人でいっつもいっつもお母さんを待ってた、という記憶が強いらしい。

中国人の同僚も


先日中国人の同僚とも、彼女もワーキングマザーなので、子育てをどうしていたか、という話になって、夫婦ともども出張の多かった彼女のお家はそれこそ空港のゲートでご主人とタッチで交代、ということもあったらしい。

ある日、彼女とご主人がたまたま同じ時間に帰宅したら、2階で泣いている娘の声が。秒彼女のほうがご主人よりも早く反応して2階に駆け上って子ども部屋のドアを開けたら、先に飛び込んだ彼女よりも、後ろから秒遅く駆け込んだご主人の方に娘が行って、その後廊下で彼女が大泣きした、という話をしてくれました。

自分の子どもが欲しくなった原点

そういえば、そもそも私が自分の子どもが欲しい!と思った原点が、阪神大震災のあとに、子どもたちの心のトラウマに向き合おう、と神戸市が募集したボランティアに参加していたときのこと。子ども達を連れて動物園に行ったり、キャンプに行ったりしていました。

キャンプからの帰り、バスがお迎えの場所についたときのこと。それまで、「たまちゃん、たまちゃん!(ボランティアでの私の呼び名)」とつきまとってくれていた子どもたちの目線が一気に私から離れ、「おかあさん!!」とバスの車窓から自分の親を探し出したのです。

え??あんなに懐いてくれていたんちゃうん??

とすごくショックだった20代の私。その時の記憶があまりに鮮明で、自分の子どもを持つってどんな気持ちなんだろう?と、絶対自分で子どもを産もう!と決めたのでした。実は自分の原点をしっかり娘が実現してくれていたというのを知りました。

子どもの記憶。親の記憶。


記憶は自分の気持で色濃かったりあせたりするので、何をどう覚えているかは人それぞれ。

娘が私を恨んでいた、というより、そんなに自分を待っていてくれた、というのを知って、今さらながら嬉しくて泣いてしまいました。

ワーキングマザーであることを選択し、夫婦で力を合わせ、それこそ全然それでは足りないところを「猫の手も借りる作戦」で、母はもちろん、子ども好きな叔母、自分が小さい頃には遊んでくれる以外子育てをしたことのなかった父、ママ友、ファミサポ、とありとあらゆる助けを借りて子育てをやってきました。「色んな人と関わって社会に育ててもらえるのが良いこと」と、自分に都合よく考えて、子どもに寂しい思いをさせることがあっても、それも仕方がない、と割り切ってはいたものの、やっぱり子どもは寂しかったんだな、と改めて気付かされました。

それでも後悔、というよりは、子どもって本当に親のことが好きなんだなあ、と改めてありがたい気持ちでいっぱいに。もう子育てはすっかりべったり時代は終わり、ヤキモキさせられることばかりが多くて、子どもが大きくなると、物理的には楽なんだけれど、精神的にはしんどいことが多いなあ、と思うのですが、こういう記憶を宝物にこれからも子育てを楽しんで行きたいと思いました。

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