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米炊かせた日誌

 日誌とタイトルに書いてみたはいいものの、日々の記録にはならないだろう。また、「米を炊かせる」と命令形であって、誰かが米を炊いてくれていることになっている。毎日すっぱく「米を炊いて」と言うのは心が荒みそうだ。
 誰しも何をやるにしても、やりたい時とやりたくない時の感情の差は大きい。苦手意識だったり、面倒臭さを一度でも味わってしまうと、その行動に対して、抵抗器が働いてしまう。すると、その行動を起こすのに莫大なエネルギーを必要としてしまうものだ。例えば日記。1日でもサボると2日分溜まり、面倒臭さが溜まる。思い出すだけでも大変な作業になり、後に読み返してみると、鮮度の感じない文章を拝むことになる。

米を炊かせた

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 結局、米を炊かせた。
 米を炊いた人は、私の学友であり、「米炊き日誌」なるものを書き綴っている。私の住む場所から遠い、佐渡島で活動している友人だ。一人暮らしには余るくらいの、大きめのお家を借りて日々過ごしていることがわかった。
玄関を出れば日本海が目の前に広がり、朝凪は気持ちよさそうだ。なぜ、推量の形かといえば、私が朝起きられないからだ。夜型人間の私は夕凪と夜の海岸はちゃんと味わった。連なる雲に「棚田雲」など命名しながら遊んだりもした。
 さて、米炊きの話に戻ろう。米を炊くならば朝だろう。炊きたての白米に、納豆と各種漬物で味わう朝食は小さな幸せだ。しかし、我々が米を炊いたのは夜だった。日中は、島内の純喫茶を廻り、両津港で学友K氏を送った。その後、入浴をし、晩飯調理に手が出たのは18時半だった。20時には、オンラインで「地域のことについて語ろう」というイベントが控えていたので、大急ぎだ。
 とりあえず3合炊くことにした。余ったら朝ごはんにする魂胆でいた。
おかずはどうしようか。昨日に出世魚ブリの一つ手前である「ワラサ」のしゃぶしゃぶをした。ワラサは丸々1匹買っていて、その半分が残っていた。これを食べてしまおう。どう調理してやろうか。時間もあまりないや。

①ぶり大根

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 ブリ料理は数あれど、今ある調味料から完成形を構想しなくてはならない。先日、学友M氏と学友K氏とおでんを作って熱燗を呑んだ。流石に、3人分のおでんに大根一本は入らなかった。半分残っていた大根を活用し、ぶり大根を作ることが閣議決定された。たった2人の閣議決定だ。
まずは大根の下茹でと、ぶりの臭みとりだ。後日、先に帰った学友K氏から「大根は凍らせてから調理した方が、味が染み込みやすい」と聞き、少し後悔を感じた。時間も限られていたので頭が回らなかっただろうし、ぶり大根の閣議決定は帰宅して数分後だった。
 大根を10分下茹でし、残ったお湯で塩もみしていたぶりを軽くお湯に通した。下茹での間に、味付けの準備だ。醤油、みりん、酒、顆粒だし、砂糖をウェブに書いてあった比率で作成。比率は目分量だ。偏っていた気がする。寒すぎて、顆粒だしと砂糖が混ざっていない気がする。
 下茹でに使った鍋を一度水洗いし、お水と調味料を合わせ、一煮立ちさせる。主役の大根とぶりを投入し、ひとまず20分煮込んでみる。その間に次のおかずだ。


②ぶりの照り焼き

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 次のおかずは、ぶりの照り焼きだ。これはほとんど学友M氏が担当した。
ぶり大根同様に、塩で下処理を行ってから焼く。下処理は、塩で軽く揉んだ後、味が乗りやすいように小麦粉を薄くまぶした。
 焦げ目がつく程度に一度焼いてからタレを加える。確か、醤油とみりんと砂糖と酒を適当な比率で作る。もちろん目分量。焼き目を入れている最中の匂いと言ったら、なんと香ばしいことか!多少身が崩れたが、空腹の我々には関係ないことだ。焼き目がついたので、タレを加え流のだが、入れすぎた。照り"焼き"というよりは、軽い煮込み並に液体が注がれた。まず、酒が沸騰する。醤油や砂糖が沸騰するのを確認するには、大きな泡が出てくるかだ。大きな泡が出始め、タレがトロッとするのが理想だったが、如何せんタレの量が理想を許さなかった。とは言え、上出来のぶり照りが誕生した。


卓上へ行進

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 米が炊き上がった。調理部屋から出来上がった料理たちが行進する。

 1番手、白米。釜から炊き上がった米は湯気を立たせながらの登場!
 2番手、ぶりの照り焼き。匂いが良い!僅かだが照りを感じる!
 3番手、ぶり大根。少し遅めの行進。ちょっとだけ煮込まれていた!
 (本当はしょっぱくて調整していた・・・)

 さて、卓上には一通りの料理が揃った。いただきます。「うまい」の一点に限る。空腹も相まって、狂ったように米とぶりを掻き込んだ。うまい。米の炊き上がりは、もっちりというよりはシャッキリという感じ。それもそのはずで、水に浸けることなく、蒸らしもせずに茶碗によそったからだ。でも、これがいい。さらさらと喉を通っていく。20時にはオンライン・イベントが控えているが、構わずにおかわりをする。
 ぶりの照り焼きは8切れあったが、あっという間に消えた。魚の一切れは、都内で食べるものより厚さ・大きさ共に、大きめであるが、あっという間にぶり照りが胃袋で泳いでいる。学友M氏が丁寧に骨を抜いてくれていたらしく、ストレスなく食べられた。ありがたい。
 ぶり大根はどうかと言われると、うまい。少し染み込みが浅いかもしれないが、うまい。ちょっとしょっぱかったけれど、悪いもんじゃない。これも、早い段階で消費された。皮までうまかった。
 学友M氏曰く、「今回炊いた米より美味しい米があるんだ」と言われてしまった。これは、気になって仕方がない。何せ、今いる佐渡島の棚田と言ったら、美味しい米が採れるものですから。かなり人気のようで、中々出回らないらしい。今年は、早めにお願いして買えるようにしておこう。


行進のあとで

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 オンライン・イベントが終わり、棚田じいと呼ばれる方の誕生日を祝ったあと、23時過ぎにひと段落がついた。学友M氏による「腹減らね?」の号令。ネギ炒飯の調理が始まった。ネギの青い部分を油で炒め、香りを立たせる。これはテロだ。卵を解き、余った米を投入。朝ご飯の米はなくなった。後悔などない。塩胡椒を多めに入れ、最後にキムチを添えた。1日の締め括りには申し分がない。これぞ、夜食。これぞ、しっとり炒飯。学友M氏はビールをうまそうに飲む。こちとら、オンライン・イベントですっかり日本酒「北雪」を呑んだうえ、棚田じいのお祝いでワインをすっかり呑んでしまっていた。だからコーラで乾杯したが、中華食堂のような感覚がまたいいものだ。

米を炊くと、心なしか1日が充実したように思える。米を食べたいから、おかずに気を使うし、おかずが食べたいからお米を炊く。このサイクルで、世間がQOLと言われているものを爆上げするようだ。

友人に米を炊かせたが、今度は自分でも炊いてみよう。ただ、米炊き日誌は書かない。日誌の適任者を私は知っているから。


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