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日常-(新)日常

前にY先生が「キラーストレスというものがあってだな」、と雑談したことを思い出した。

キラーストレス

どうやら2016年の番組らしく、先生の本棚にもキラーストレスに関する本があったのでパラパラめくって読み、上にあるホームページで診断をしてみた。先ほど試してみたら、私の場合は499点であった。先生と雑談した時は350点くらいだった気がする。それでもって、その先生は優にインフレした数値を叩き出していた。この自己点検のリストが、研究者たちの間で行われる測定よりは、簡易的であると思うし、大方の人間はストレス要注意の260点、色々問題が発生する300点を獲得するとは思う。

今や、コロナウイルスが蔓延し、社会は大きく変わらざるを得なくなった。コロナは社会を大きく変化させるビッグ・プッシュになった反面で、ニューノーマルとこれまでのノーマルのギャップがあり、それもストレス。場所も、家にいることが多くなり人によってはストレス(人によってはありがたいことでもあった)。

私の場合はあまり家にいるよりかは、外を出歩いて、なんでもいいから面白いものはないか探すのが好きだった。神保町の古本屋によって小難しそうな安くなった岩波を買って、カッコつけて喫茶店で読むふりをするのは心地よかった。平日に関して言えば、とりあえず大学に行けば誰かしら話せる人は居て、ほとんどそれを目当てに大学に通っていた。学友にはお世話になったし、忙しい中でも話をしてくれた先生方にも大変お世話になった。大学での自然発生的な会話というのは授業+aの価値があった。友人と話せば、私にはない解釈が飛んでくるし、先生と話せば一歩先の議論や読書案内が行われた。機会費用が限りなく低い世界がコロナ前にはあった。今はどうかといえば、気軽に話すことが私にはできない。アポを取ったりという手間もあるが、話に飛び込んでくる外野がいなかったりと寂しいものである。もしかしたら、ちゃんとアポを取って話すのが世間の大学の一般なのかもしれないが。。。

我が家における新日常

新日常というよりは、新たな側面を知ったに近いかもしれない。
コロナ前の私のノーマルは日中は家にいなくて、帰宅したら疲れて少し横になって、回復したらレポート等をして、という生活だった。しかし、日中に家にいると、これまでの家の居心地とはまるで違う。我が家にはもう15歳を迎える小型犬がいるのだが、これがかなりうるさく感じてしまう。犬の愛好家さんが読んでいたら、非常に申し訳ないことを書いているのは承知であるが、私自身がそう思ってしまっている以上、その現状が存在しているのでどうしようもない。もともと居た岩手の実家では猫を飼っていたが、我が家の猫は比較的静かな猫だった。また、仮に大騒ぎしようが、周りは田んぼという環境もあり、そこまでご近所さんに何か起こることもないはずだ。

上京し、私は、祖父母の家でお世話になっているのだが、そのわんちゃんがストレスなのだ。多少なだめ方はわかっているので、どうにかなる時はある。なにが欲求なのかもなんとなくだが分かっているつもりだ。しかし、自室でオンライン面談だったりしている際は、いつ爆発するのか判らない爆弾なのだ。祖父はあまり犬の面倒をみてくれない。隣で大声で吠えているのに、寝ており、起きていても構うそぶりがあまりない。痺れを切らした祖母がなだめに行くのだが、今度は犬が激昂してさらに甲高い声で吠えるのだ。これの繰り返しの挙句、祖父母が口喧嘩を始める。また、ある日散歩の帰りにマンションの近くを通ったら、我が家の犬の鳴き声が路地に響いてしまっていた。こりゃ、ご近所さんから何かあっても弁解が難しい。困った困ったこまどり姉妹だ。

私のこの犬の一件に関しては、単に猫派というだけであって、過剰なストレス反応を示しているだけなのかもしれないが、、、。


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