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何が下品なのかいまひとつピンとこない

クラウドファンディング、アフィリエイト、ドネーション。このnoteだっておひねり機能がついている。そんな時代に、お金を配るのがどう下品なのかいまひとつピンとこない。

例の前澤さんの件、なぜか「下品」という言葉で言及している記事が多い。

自分はちょっと空気読めないタイプなので、下品という指摘が何を指しているのかいまひとつわからない。私のようなタイプは、明確なルール以外の暗黙のルール、「下品」か否かのルールが嗅ぎ取れない。

お金配るのが下品なのか、お金持ちがお金配るのが下品なのか。たぶん後者なんだろう。有名な「どうだ明るくなったろう」的な、成金趣味的なということなんだろうとは思うけど、特にSNSでそれをやるということを問題としているようだけど、うーむ配る側ともらう側、双方で合意が取れてたらそれでいいんじゃないだろうかって思ってしまう。

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金は人の心を支配するから?金は権力だから?それは確かにその通りかもしれない。

というのも、最近サービスの運営資金どうしようと思って、この本を読んでいた。

有名な本らしいんだけれども、どうやらベンチャーキャピタルに出資してもらうことを前提に、いろいろその仕組みについて書かれた本らしい。

なんかすごい世界だなぁ・・・、出資してもらえたら嬉しいけど、VCの言うこと聞いてしまって自分のペースでサービスをやっていけるか自信ないなー、と思ってたらこんな記事を見つけた。

力が欲しいか?

やっぱりお金で力を得ることは、悪魔と契約して魂を売るような側面はあるらしい。VCの人自らそう書いてらっしゃる。

ということでもしかしたら、「下品」というのは100万円配って人の心を支配しようとする卑劣な行為だ、という指摘なのかもしれない。まあちょっとわかるかもと一瞬思った。

しかしよく考えると、前澤さんはVCと違って、配った相手からの見返りは期待してないのである。

どっちかというと、かわいい甥っ子姪っ子にお年玉3000円を渡す感覚で、可愛げのある夢を持った人に100万円配ったというふうに私には見える。もらった甥っ子姪っ子も、恩義に感じていつかこの恩をお返ししたい・・・、なんて思うことなく、そのお金を楽しんで使うことでしょう。

そりゃpaypayのような宣伝効果も多少は計算してるかもしれないけど、それは相手ではなく世間からだろう。そういえば前澤さん、先日見たWBSで、尊敬する人は孫さんだと言っていた。

力のある人が、Twitterというメディア、SNSでそれをやることで多くの人を支配しようとしているという指摘も見たけど、はて前澤さん、そこまで考えてるかなぁという気がする。実際は反発のほうも大きく吹き上がってて、権力や名声と相殺されてるように見えるけれども・・・。フォロワーだってその後減ってるらしいし・・・。

あ、そうそう、さらに脱線するけれども、paypay以外にもうひとつ、ノーベル賞の本庶佑さんの話も思い出した。

「ただばらまき方も限度があってね、1億円を1億人にばらまくと全てむだになりますが、1億円を1人の人にあげるのではなくて、せめて10人にやって、10くらいの可能性を追求した方が、1つに賭けるよりは、ライフサイエンスというのは非常に期待を持てると思います。もっともっと、たくさんの人にチャンスを与えるべきだと思います。特に若い人に」

前澤さんがこの会見を知っていたかはわからないし、全然違う世界の話だけれども、発想としてはちょっと似ているかも?

・・・閑話休題。ということで、VCのような大人の世界の話ともちょっと違う気がする。

もしかしたら下品と指摘している人たちは、VCのように見返りを求めるほうが健全だという主張なのかなぁ?じゃあ無条件に子供にお年玉あげる行為も下品なのか?ここはまだ掘り下げようがありそう。

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ただ確かに、名声を得ると同時に、妬みのような、人の負の感情を刺激する行為ではあると思う。光が強ければ影も強くなる。配った人ともらった人に日が当たるその一方で、世界の終りとハードボイルドワンダーランドのやみくろのような何かが、日の当たらない場所で増幅しているかもしれない。

大抵の人は妬まれたり恨まれるとダメージを受けるけど、時々、
「あ、この人には(負のエネルギーが)届かなさそうだな」
と思える人がいる。そもそもそういう人じゃなきゃお金なんて配らないのかもしれない。(なので凡人の私がお金持ちになったとしてもお金配ったりなんかしないし、なるべくひっそり暮らすと思う。)

ということで、妬みを買うことへの警告を「下品」と言い換えてるのかなーとも思ったけど、どっちかというと、下品と言いたいがためにこの理屈を持ってきたようにも思える。

金持ちは分配しろ。しかし下品な方法以外で分配しろ。誰の妬みや恨みも刺激しない方法でやれ。なかなかハードル高い。お金が動くことの効果だってあると思うけどなぁ。

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お金を配るのが「いけない」理由ならひとつ知っている。

それは学生時代にインドに研修旅行に行ったとき。物乞いの子どもたちに囲まれる生徒たちに向かって先生がこう言った。

「お金を恵んではいけない。それは彼らの自立を阻む」

魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが本当の助けになるという話を聞くが、きっとそういうことだろうと思う。

しかし「下品」というのはやっぱりピンとこない。

私は特に前澤さんのこと好きでも嫌いでもなくて(今回も知らなくて参加してない)、先日のWBSでも、

「楽しくやってたら成長していた」(主旨)
「会社の理念は世界平和」(主旨)

みたいなこと言ってたので、えー、本当に?本当は優秀なブレーンが細々した実務をこなしてくれているからなんじゃないの??って疑ってるくちなんだけど、あまりに「下品」の意味がわからなすぎてこれを書いた。

本当は、ただの妬みを長文に置き換えて理屈をつけてるだけでは?その長文の裏に込められた真意が、

「お金配っていい気になりやがって。お金もらったやつうらやましい。なんで俺には100万円が手に入らないんだ!!」

って魂の叫びならすごい共感できる。なんだそういうことか!愛すべき人たちだった。

そもそも下品という言葉自体が、人によって何を指すかブレの大きい言葉なのかもしれない。なので金持ちの金配りを下品と思う人もいれば、そうでない人もいるという、そしてそういうブレの大きい言葉でしか表せない根拠だという、それだけの話なのかもしれないなぁ。

だけどもしそうだったとしても、もうひとつわからないのは、前澤さんみたいな桁違いな金持ちとか、すごい確率で当選した人をなぜそんなにも妬めるのかということなんだ。いや、身近な人、たとえば自分より幸せそうでモテる会社の同僚への嫉妬ならわかるんだけれども・・・。

いや、もしかしたら単なる嫉妬ではなく、自分たちは彼らに搾取されているという感覚がそうさせるんだろうか。あるいは資本主義や、このSNS社会における民主主義の欠陥だという話なのだろうか・・・。

だとしたらそれは仕組みの問題で、ひとりの金持ちの行為が下品かいなかの話とは全く別次元のように思える。しかしそこを何とかこじつけて批判したいというそのエネルギーこそが、彼に刺激された負のエネルギーそのものということか。

じゃあ私がこの長文書いてるエネルギーは何によるものだろう?「わからない」から来るエネルギー?あるいは相手がすんごい強者にせよ、ちょっと行き過ぎた個人攻撃への義憤もあるかもしれない。あと、父と同じ猿系のビジュアルへの親近感とか、私にもお金くれないかなぁって下心とか。

ともかく、他にも、他人に100万円配るならZOZOの派遣社員の条件を良くしてやれって記事も見た。確かにそれはベストだ。でもマストではないかもと思った。

ということで、もしかしたらだれもが気づいていて暗黙の了解としているものをわざわざ分解して余計なことをするという、徒労以外の何物でもないエントリーだったかもしれない。(そしてお金ください!!)

でも本当に「下品」とはこういうことなんだということがあれば、その手のセンサーが欠落している私にも優しく教えてください。

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