音をつくる人(1)?

音はどこに行ってもつきまとう。朝起きてから、眠りに落ちる最後の一瞬まで音はそこにある。車が走り去る、木が揺れる、誰かがくしゃみをする、室外機が唸る、包丁がリズミカルにまな板にぶつかる、父さんがキーボードを叩く。音が耳に刺さる。ひどく鋭利なその音たちは間髪入れず僕の耳を突き抜けていって、僕の心臓に刺さる。小さいころ、指に刺さったトゲを優しく抜いてくれた大人はもういなくなっていて、僕は隅っこで泣いていた。おこることができなくて、耳をふさぐ。だけどその指の隙間からさらに鋭くなって入ってくる。この世界は、そんな音に溢れている。

ある暑い夏の日のお日様のもとで僕は汗をダラダラと垂らしながら自転車を漕いでいた。僕は一ヶ月に一度、川の向かい側に独り住むおばあちゃんを見にいく係を押し付けられている。おばあちゃんは親戚みんなに厄介がられている少し変わった、いやかなり変わったおばあちゃんなのだった。リズミカルに自転車を漕いでどんどんそれを前に進めていく。とにかく暑くて、僕は速くこぐ。全面に蜃気楼が見える。視界の一番奥の方に、なんとかばあちゃんちのぐにゃぐにゃしたへいが見える。それはぐるりと四方を囲み威圧的で、それをの乗り越えんとばかりに敷地内の竹やぶや松の木、桜の木、柿の木、なんだか分からないけど自転車をこぐ僕の顔の前まで迫ってくる。門を抜けた。ヒューっと涼しい風が吹いて、僕は一瞬目を閉じる。まぶたを持ち上げるとじょうろを持ったおばあちゃんがいて、僕はブレーキを握った。おばあちゃんと目が会う。僕は蛇に睨まれたカエルみたいに固まってどもる、ハニカム。ばあちゃんは手をからにして、そのさらに鬱蒼とした敷地の奥へ消えていくから、僕は見失わないように自転車を降りて駆け足でついていった。なんかい来てもここは迷子になること違いないと思った。現に訪問客がしばしば迷子になって諦めて帰ることもあった。ばあちゃんが手招きして、僕を家に上がらせた。玄関の正面にある鳩時計が一回パッポーとなって、ちょうど一時になったことを知る。いつもよりちょっと早くついたななどと考えていたら、ばあちゃんは冷たい麦茶を年季の入った日立の冷蔵庫から取り出してきて、コップに注いでくれていた。僕はそれを半分ほど飲んだ。そして、ばあちゃんはまた庭へと戻っていった。

ばあちゃんはとにかく忙しい人で、いろんなものを作っている人だった。季節ごとの野菜、果物、芋類を作る百姓でもあったし、庭の木を切ってきて家具を作ったり、また音を作る人でもあった。音を作るというよりは、ばあちゃんは今はなくなってしまった音をびんに入れて保存したり調合したりしているようだった。詳しいところは僕にも分からないが、それが親戚一同からキミ悪がられる一因であるということは容易に予想がついた。だけど僕は不思議なことに、ばあちゃんちに住むその音たちが家や学校なんかよりよっぽど心地よくて何処か懐かしく落ち着くのだった。ぼくも変人だと言われるだろうからとうさんには内緒にして、イヤイヤいくふりをしているけれど。残りの麦茶を流し込んでそれを洗い場に置くと、僕は西の間の畳の上に寝っ転がる。遠くで鳩時計が針を進める音だけが家の中に響いていて、僕はそれを無意識に数えながら眠りについた。裏の扉にかかるすずがからんと乾いた音を鳴らす。ばあちゃんが小さい足を滑らすようにして僕のことをあっちこっち探しているんだなと思った。僕はまだ少し寝ていたかったけれど、体を起こしてばあちゃんの元へ向かう。ばあちゃんが庭でとれた夏みかんを三つ抱えて、二つ僕にくれた。ばあちゃんはもう一つに果物ナイフで切れ込みを入れて器用に皮をむくと、僕の口に一つ放り込んだ。喉に潤いが戻った。ここで鳩時計が四時をお知らせしたから、僕はばあちゃんに礼を言って夏みかんとともに畑で採れたナス、ピーマン、トマトを自転車の前かごいっぱいに詰めてばあちゃんちをあとにした。