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雨宮さんのこと

先日、日程的に振り込みがない時期が続いて、母の形見のダイヤのネックレスと、父からプレゼントされた真珠のブローチを売りに行った。4万円で、そんなものだろうという妥当な値段だった。
それらを入れていたアクセサリーのボックスに、形見分けでいただいた雨宮まみさんのネックレスも入っていて、久々に大事に眺めた。これはもちろん粗末になんて絶対しないし、わたしが消えても残るだろう。そんなに親しい友人といえたわけではなかったのに、形見分けをしてくださった、雨宮さんの親しい友人の方々には感謝しかない。

最後に会ったのは亡くなる一か月前くらいの気がする。もう少し前かもしれない。ゴールデン街の、渚ようこさんのお店「汀」で飲んでお喋りした。ちょっと人には言えないこととか、あとtwitterで嫌いな女性アカウントの話をすごくした。複数いるのに、偶然とは思えないくらい被っていて、「あの人のあのツイート見た?」「見た!あれってさー」とボロクソ言ってスッキリした。別に自分を良く言うわけではないが、雨宮さんの方がよりウォッチしていて、友人とLINEでそれ用のグループを作っているとも言っていた。

お店を出て、そこから少し距離のあるわたしに、先に来たタクシーを譲ってくれた。振り返って、後部座席のウィンドウからお互いに手を振る姿を見たのが最後になった。雨宮さんの早すぎる晩年に、荒れる原因になった奴に、雷で樹が縦に割れるほどの天罰が下りますように。

雨宮さんは間違いなく、いまの時勢では本当に必要とされたと思う。今も彼女の言葉を託宣のように聞きたい、彼女を必要とする女性たちが大勢いるはずだ。鋭すぎて、痛々しすぎて、読むのが怖いような文章だった。当時のわたしは彼女が書き綴る、繊細な怒りに満ち、傷ついて血を流した文章の余波を浴びていたと思う。そばにいて影響を受けずにはいられなかった。彼女が亡くなり、彼女の新しい文章に触れることがなくなって、何かが失われた。簡単に言って、わたしは緊張感がなくなり、腑抜けになってしまったのだ。


表題の画像は無断でお借りしました。資生堂の写真館で撮られたお写真で、本当にお美しいので飾りたかったです。問題があればすぐ削除しますので、ご連絡ください。

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