飲み込めなかった給食、抱っこしたかったウサギ当番。
私はノロマ🐢。
これはもはやアイデンティティかのように
子どもの頃からずっと、
言われてきたし思ってきた。
ノロマだから
という言葉も何度も使った。
そんな私でも
いつからか「行動力」とかいう言葉が
アイデンティティとしてついてくるようになった。
ノロマのくせにフッ軽……? 都合よくね?
と自分に対して思う。
なぜなら
やりたいことには行動力が湧いて
分からないことはとことん平均以下のペースで進んでいくんだから。
誰にでもあることだけど
このセコいノロマはどこから来るんだろう…と考えてた時、小学生の自分を思い出した。
飲み込めなかった給食
小学校の頃から(そして今も…)
給食を食べるのがそれはそれは遅かった。
理由は大きく二つ。
①二つ以上の料理(味)を合わせて食べる概念がなかった。
②噛んでも噛んでも、「飲み込める」と納得できなかった。
小学生の頃にこの二つに気付いて
少しずつ矯正してマシにはなったけど
今も尾ひれ引くこの感覚。
①は、成長につれ【口内調理】を楽しめるようになって解決。要は、「味わう」感覚に集中しすぎて、ご飯を味わっている間に味噌汁が介入してくることを想像できていなかったらしい👧
②は、「飲み込む」ということを無意識に ものすごく意識していたために、起こった。なんとなく飲み込む、なんてできない。
口の中でつい、
「今噛んだところ、均等な大きさになったかな?」
とか
「この料理をこれくらい噛んだ後にこっちの料理を口に入れたら、美味しそう。ああでもそしたらまた、飲み込むタイミング逃しちゃうなあ。」
とかを思ってしまって
「飲み込むんだ」ということに
エネルギーを使ってしまう。
①と②から分かる私のノロマ原因は
無意識に人より感じ、味わい、よりよい味わいのために工夫してしまっていること。意識的に急いでも、今度は飲み込むということにエネルギーを使いすぎてしまうということ。
普通何気なく、通り過ぎていいことも
私が飲み込むには、時間がかかる。
抱っこしたかったウサギ当番
ウサギ小屋をみんなで掃除する
グループ当番があった。
掃除を始める前、クラスメイトは
ウサギを撫でたり抱っこしたり…🐇
私は不器用で、うまく抱っこできなかった。
そうこうしていたら掃除の時間…みんな掃除を始めた。
私は、ウサギを追っていた。
それを、我儘だとは全く思っていなかった。
みんなを見ていて、
ウサギを抱っこする→小屋掃除をする
というのがセオリー……かのように感じて、
一度感じてしまったそのセオリーを
正しく飲み込まないと気持ち悪かった。
すごく変だけど
今ここでウサギを抱っこできなきゃ、私は……この先ずっと、後悔するような気がする……
みたいな。((ガチ
飲み込むのに時間がかかるくせに
飲み込むと決めたものを
ちゃんと飲み込めないと気が済まない。
言い換えるならば
何かに取り組めば、人より時間がかかるくせに
やると決めたこと、やれそう・分かりそうだと思ったことは
目指すところまでいけないと悔しいしイライラするし意地でも続けたくなる。
…こうやって、頭でわかっているなら変えろよ、って話なのですが。
成長できるチャンスを、逃したくないのかな。
飲み込み、味わい、表現する。
三つ子の魂 百まで。
ずっとセコいノロマな私。
だけど同時に、私が人生をかけてやりたいこともまた、皮肉にも【飲み込み、味わい、表現する】ことだったりする。
主観的で、感性頼りで、時間がかかること。
それでも、
飲み込めなくても美味しいものは美味しいし
捕まえられなくても触れたいものには手を伸ばしたい
時々人様に迷惑をかけながら
上手く付き合っていこうと思う。
ただし、【飲み込み、味わい、表現する】テンポは少しずつ軽やかにしていかなくちゃ。
スピードよりリズムを。
テンポアップより拍を捉える努力を。
ダンスを覚える感覚と似てる。
自分の中から生まれたステップは
どんなに複雑でも軽やかなのに
他人のステップを真似るときは
どんなにシンプルでもぎこちない。
早く、早く覚えようと
等速で動画を流していては一向に飲み込めない。
時々スローで、
時々足だけ動かして、
一歩一歩、一口ずつ、飲み込んで
時間がかかっても、心を込めて表現できるダンスになったら、きっと楽しいだろうな。
そんなダンスを、人生を、踊りたいから
私はノロノロ、セコく生きる。
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