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『行き止まりの世界に生まれて』


連日のスケボーが出てくる映画dayというわけでヒューマントラスト渋谷にてビン・リュー監督『行き止まりの世界に生まれて』を鑑賞。
前日の『mid90s』でフォースグレードが撮影していたものに近い、それを12年近く監督であるビン・リューがスケボー仲間のキアー・ジョンソンとザック・マリガン、彼らの家族や知り合いたちを撮った記録であり、同時に自分の母にもインタビューをしているドキュメンタリーだった。


ビンは中華系移民、キアーは黒人、ザックは白人であり、三者三様それぞれアメリカという国における問題に直面している様が映し出される。実はこの辺りもかなり『mid90s』の少年たち五人に近い、中華系移民はいなかったが。つまりこれはある程度は移民の国であるアメリカのデフォルトな感じでもあるのだろう。そして、描かれる彼らが生きる町は主要な産業が衰退している場所であるイリノイ州ロックフォード。それぞれが貧しい家庭に生まれ育ち、家庭内暴力の問題や親子関係、人種に貧困問題がある。彼らは一応に逃避のようにスケボーに興じている。しかし、大人にならないといけないとも思っている。


『mid90s』におけるフォースグレード的な立ち位置にいるビン・リューは撮り続けていた。そして、自身の家族問題をキアーに重ねている。キアーは亡くなった父に白人と友達になっても仲間になっても自分が黒人であるということは忘れるなよ、と言われたという。ロックフォードは「ラストベルト(錆びついた工業地帯)」と呼ばれている。しかし、現在の社会においてはそういう場所は貧困層が増えていく。貧困層の白人たちはトランプを求めた経緯がある。アメリカン・ファースト、白人至上主義。ザックは政治問題などは語らないが、他の二人が抱える人種問題はない、貧しく、父親にもなるが彼は欲望に忠実だ。それは『mid90s』でも白人のファックシット的でありかなり被る。キアーはレイだろう。このドキュメンタリーはビンがまず監督になって作品を作り上げたこと、これは成功と充分に言えるだろう。物語の終わりであることを決断する者もいるが、そうなるのはよくわかる。


また、オバマ元大統領が選ぶ「年間ベストムービー」にも選出されている。去年公開された『ブラインドスポッティング』も黒人と白人の幼なじみが同じことをしても違う扱いがあること、生まれ育った町で住むことが難しくなってしまうことを描いていた。A24の次に公開される新作『ラストブラックマン・イン・サンフランシスコ』も予告を見ると住んでいた町に住めなくなっていく話もあるようだ。これらは一応にオバマ元大統領の「年間ベストムービー」に選出されている共通項もある。
これらの問題は『行き止まりの世界に生まれて』に共通している。アメリカの問題ではあるが、日本でも高齢化社会になっていくと結局都市部でしか人は生活ができなくなる問題が指摘されている。金のない人間は生きられなくなっていく可能性が高いにもかかわらず、政治は公助を後回しにしようとしている。人間の尊厳なんか基本的な人権は後回しにされる、経済を回すシステムのために。そんな世界だからこそ『行き止まりの世界に生まれて』というタイトルも内容も他人事ではない。
『mid90s』を観てから『行き止まりの世界に生まれて』を観るのがいいとは思う。

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