「個性尊重」と「個性原理主義」の境界線。
こんにちは!
本日も備忘的に。
フリースクールを運営するなかで、最近感じること。これはうちのスクールに限った話ではなく、一般的な話として。世の中の流れとして、子どもたちの「個性」が尊重されていますね。それはよいこととして、個性の「尊重」と個性「原理主義」みたいな考え方がある気がします。
「個性の尊重」と「個性原理主義」。
これは難しい問題ですね。
前者はよいとして、後者について。
後者は「個性」の名のもとに、すべてのことを正当化するような考え方です。例えば、こんなケース。ある保育園で、あきらかにその子の問題行動があるにも関わらず、それを指摘すると保護者は「それは、この子の個性です」と主張し、子どもに教育をしようとしない。同じようなケースは、保育園でも幼稚園も、小学校でも中学校でも起こっています。
「個性原理主義」は角度を変えれば、ただの「しつけ放棄」です。家庭が子どもにすべき「しつけ」を「個性」の名のもとに放棄しているだけです。そして、子どもが外に出たときには「個性」の名のもとに子どもを庇護します。
この「個性原理主義」は非常に厄介。なぜなら、それを外部から指摘することもできないし、なによりも、個性原理主義のもとで育ったこどもはとんでもない「モンスター」になります。モンスターとは、プライドが高く、自分の弱い部分に向き合うことをしない人間、という意味です。これは人間としては非常に問題がある。だけど、もはや手遅れな状態。
どんな世界でも「原理主義」は、非常に厄介ですね。
本日は以上!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?