将棋で得たもの

前書き?

私、他人と比べて自分が得意なんだなーって思うことが何個かあるんですよ。何人かの友人から最近言われたことが共通していて気づいたことだから、多分ある程度確からしいとは思うんです。

それで、なんで自分はそれが得意なんだろう〜って思って過去を振り返ってみると、多分将棋で培った能力なのかな?って思ってちょっと考えたことをまとめてみます

まあ、ズバリ自分の長所は!「素直さ」と「直感力」の2点だと思ってます。(他にもあると思うけど)

なぜこれらが将棋によって培われたのかという話の前に、僕と将棋について少し書いておきます。

ぼくとしょうぎ

最初に将棋に触れたのは小学2年生とか3年生とかだったかな。おじいちゃんに教えてもらって将棋を始めるというよくあるパターンのやつです。そこから、小学生のクラブ活動で将棋クラブに所属したり、なんかそれっぽい本を読んだりして、将棋って楽しいな〜っていう日々を過ごしていました。

中学校に進学して、中高一貫の6年間を通して囲碁将棋部に所属していました。毎週水曜以外の16:00~18:00くらいで将棋を指していました。だんだん強くなってきて、高2のタイミングで、岡山県の団体戦に優勝して総文祭(文系のインターハイみたいなやつ)に出場することができました。楽しかった。

大学に入ってからは、将棋部とかには所属しなかったけど、ネット将棋を続けたり、YouTubeでプロ棋士の解説を聞いたりしてゆるゆる将棋を楽しんでいます。

本題

まず、素直さってなんやねんって話ですよね。

ぼく、プライド高いし結構頑固なところとか逆張りの精神はあるんだけど、他人から言われた自分に対する指摘みたいなのは、割と受け入れていると思ってるんです。
これを素直さというのかわからないけど、少なくとも自分の良くないところを指摘してくれる友達ってとても素敵な存在だと思っていて、そういう存在の期待を裏切りたくない?みたいな気持ちもあるんだろうか、彼らから言われることはとりあえずそのまま飲み込んでみることにしています。

で、この素直さがなんで将棋に由来してるかって話なんですけど、将棋って一局指し終わった後に感想戦っていうのをやるんですよ。一局を振り返って、どの手がよくなかったとか、この手はいい手だったみたいなことをワイワイ話す時間で、僕は結構その時間が好きなんです。
高校生の大会とかだと、僕の同級生と相手の高校の同級生を交えて5、6人くらいでわいわい討論したりもするんです。

その過程で、「自分の選択を反省して相手の意見を受け入れる」みたいな姿勢が養われたのかな〜なんて思ったりしてます。

あとは、将棋って、「自分の負けを認めることで勝敗が決まる競技」という、結構珍しい形の競技なんですよね。「負けました / 参りました」とか言って頭を下げることで、一局が終わる。どんだけ悔しくても、相手の前で自分が負けていることを口に出して言わないといけないので、まあなんか変にへそ曲げてたりできないってことなのかなと思ったりしました。

はい。次は「直感力」の方ですね。

ぼくが他の人から言われて気づいたことは、僕って「こうこうこうだからこうしよう!」みたいに論理的に考えるよりは、「楽しそうだからやってみよう!」「やるなら今しかない!失敗してもなんとかなるやろゴーゴー!」みたいな楽観的な気持ちで物事を選択してるらしいんですよね。

これって、将棋を指すときの脳の使い方に近いと思ってるんです。どういうことかっていうと、棋士って、まず経験則で直感的に思い浮かぶ手の候補が何種類か見えて、その数種類の手の変化を読むことで、直感で見えた手のどれを選んだら有利になれるかを考えてるんですよね。

これってAIの思考と真逆なんですよ。AIは、直感とかないので、計算力の暴力で、すべての組み合わせを計算して、その中から結論を出していくんです。しらみつぶしに。

だから多分、論理的に思考して結論を出すより、直感力を磨いてレッツゴーゴーで生きていくのが、AI時代における人間のバリューなんじゃないかって思ってます(適当)

おわり

はい。いろいろ書きましたが、思考を置いてみただけで、特に結論があるわけではないです。

強いていうなら、将棋をやっててよかった!!みたいな感じだろうか。テニスをやってた人が片腕だけ長くなるように、将棋を指すことで日常の思考回路が将棋的になっていく。その結果今の人生があるわけです。

まあ、ぜひ暇な人は将棋を指してみてください。常に相手は募集しているので、一緒に将棋さしましょ〜〜〜〜〜!!!

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