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30歳目前でまさかの沖縄移住しちゃいました

10ヶ月ぶりの更新。この10ヶ月の間に色々ありすぎて沖縄移住してしまいました。まさか沖縄に住むことになるとは。。。ほんとに壮絶な10ヶ月だった。オーストラリアのワーホリ生活よりすごかったんじゃないかな。
(おそらく)20代ラスト投稿になるかと思われるので、備忘録として残します。

1−3月|悩んだ末、やっぱり年明けに退職を決意

2023年、年明け早々コロナにかかりましたが、内心「これでゆっくりできるラッキー!!」そうでもないと社用携帯を手放すことができず。。。

そして2月、ようやく退職を決意。
社員の中で一番この仕事を愛していた自信があったし、大好きでしたが上京して2年半、東京生活の全てを捧げた激務生活に終止符を打つために退職を決意しました。当初は新規プロジェクトの沖縄新規施設オープンを終わらせてから辞めるという条件で。

まさにがむしゃらに働いた。良い様にかっこよく言えば、プラダを着た悪魔のような生活。
常に社用携帯を握りしめておかないと気が済まない。
映画館で映画を観終わって携帯開いたらとんでもない数の着信があったり、富士山登山中であろうが、法事中であろうが、鳴り止まない電話。
早朝からくる社長や専務の「あれどうなってますか?」メッセージ。笑
落ち着いて寝れない。そんな生活に解放されたいという思いも強かったです。

4−6月|3ヶ月間沖縄へ出向して、沖縄ええやんってなる

会社として初めての試みのプロジェクト担当になり、「あとはなんでも自由にしてええからとりあえず施設作ってオープンしてきて」という指令の下、沖縄にしばらく出向することが決定。(東京から遠隔で業務を進めるのに限界を感じ自ら志願)
沖縄には学生時代に那覇にちょろっと行ったことがあったくらい。今まで沖縄に興味なんてなかったのに不思議なご縁だと思います。

「仕事で沖縄に長期滞在」これだけ聞くといい生活そうですが、実際は毎日早く帰りたいと思いながら、現場と事務作業に追われる日々。
コンビニもスーパーもない離島で、社宅で男性社員と一つ屋根の下で共同生活(これが一番キツかった、やばいよね)、運転免許を持っていないので自分で移動ができない、GWは毎日4時半起きで日中は炎天下の中芝生張り、まさかの40日連勤。最後の最後で梅雨の豪雨で施設が浸水するわ台風直撃するわ。。。本当によくがんばった。

退職はGW明けの予定のはずが、結局あれよあれよと沖縄滞在を6月まで引き伸ばし、沖縄の次はやっぱりもう1案件やってということになり、8月末までは三重の案件担当になることに。
結局沖縄っぽいことは何もできないままバタバタと沖縄を去りました…
でも、内地から突然現れた私を快く受け入れて助けてくれた沖縄現地の社員たちには本当に感謝です。ありがとう。

そんな沖縄生活でしたが、同じ日本なのにこんなにカルチャー違うの!?という新発見の連続で、滞在していくうちにどこか大好きなフィリピンと似ている感覚が抜けなくて、最後は沖縄にもう少しいたい、沖縄に住んでみたいという気持ちが大きくなってきて、転職活動も気づけば沖縄の求人で進めていました。

7−8月|沖縄を去ってからは一旦仕事はゆっくりモード

6月に沖縄を出て、前代未聞の約1ヶ月の代休を取ることになり、1ヶ月仕事が休みに(笑)
その間に三重県伊勢で免許合宿に通ってようやく運転免許ゲット(会社の人からはもっと早く取れよと言われましたw)
おじいちゃんが亡くなったり、父の体調が良くなかったりで、いつでも三重に行けるようにという口実の元、7−8月の2ヶ月間は大阪支店で勤務させてもらい、大阪の実家で親と過ごしました。

結果東京の家を5ヶ月間空けましたww
職場では、「いつ辞めるんですか?」「まだいるんですか?」といじられながらちょっと気まずい感じで、ゆっくりモードで勤務しつつ、転職活動を進める日々を送りました。

次の仕事どうしよう?

割と時間ができたこともあり、結果、今回の転職活動は割とうまくいったと思っています。ちょっと自慢すると、9社も内定もらいました。主にホテルの広報や経営企画、WEB集客サポート、旅行会社などなど…驚き。
改めて次の仕事をどうするか考えた結果、ざっくり下記の方向で進めることにしました。

・自分の長所を活かすため、大企業ではなくベンチャーで
・業界は観光、旅行業界。前職の経験を活かす
・職種は広報、営業をメインに幅広く

…えらいざっくりやな。笑

20代、フィリピン、オーストラリア、大阪、東京と定住せずにフラフラしつつがむしゃらにやってきた結果、30歳を目前にしてようやく腰を据えたい業界を決めることができました。
ここまで自分で決断できるまでだいぶかかったな…社会人8年目の周りの友人たちより遠回りしたけど、一歩前進。

やっぱり自分の中で、「人生を豊かにしてくれる旅」は外せなくて、観光業界に進むことを決意しました。
旅を通して「自分の当たり前」を崩していくことで視野が広がったり、価値観が深くなっていく感覚が堪らない。

自分が旅が好きだから観光業というよりは、私は社会との繋がりがあってこその生活を送りたいと思うタイプの人間で(=仕事大好き)、社会活動をしていく中で、更に自分の人生も豊かにできたら素敵やん!と思います。
私には「人生を豊かにしてくれる旅」は必要不可欠なものであり、それを通じて社会活動(=仕事)をしていきたいと思います。

悩んだ末選んだのは「観光業コンサル」

では、観光業界のどの領域にいくかですが、前職では、ざっくりいうと宿泊施設の集客支援・地方創生として新規プロジェクトを提案する仕事をしてました。
CS業務も多かったため、全国各地の宿泊施設の支配人、女将さんとお仕事をすることがメインでした。
お話を聞いていると、集客支援としての新しい取り組みを導入することも素敵なことですが、それを遂行していくマンパワーの不足、またはそれができる人間がいない。だから結局回らなくなってクローズしたり、サービスの質が落ちてしまい、もったいないな〜と思うことがしばしば。

新しいプロジェクトやサービス、ツールを入れても使いこなせる人がいないのに、世の中には画期的なツールばっかりできて。本末転倒ちゃう?と思いながら仕事をしてました。まさに観光DXの壁。
コロナ以降、客足が戻ってきつつありましたが、根本的な問題解決しないと、またはしながらでないと盛り上げたい観光業界も盛り上げられないよね、と話題に上がることが多くなってきました。

1番は、観光業界に根付いている課題解決に携わることができること。
かつ自分が得意とするポジティブ思考を使い「魅力を見出し発信すること」、「新しい業務フローを確立し可視化すること」を活かしつつできる仕事として、マッチした「観光業コンサル」という仕事をすることにしました。

前職より引き続き、「集客支援」に関わっていくことになりますが、深刻である人材不足、円安により進むインバウンド問題を解決しながら、集客サポートするということをしそうです。またほどほどに忙しそうやなw
前職で大変お世話になっていた会社にジョインすることになったので嬉しい^^

沖縄では主産業として観光産業は外せなく、県のリーディング産業としても確立している。
そんな、日本の中でも観光産業で成り立っている沖縄で挑戦することによって、今後どこに行っても生かせるようになれば…と思います。

今回の転職活動でいろんな会社に訪問させていただきましたが、みんなが沖縄を盛り上げたいという一心で積み上げてきている沖縄の観光産業はとても素敵なものだと思うし、ワクワクしますね!

どうなることやら沖縄生活

沖縄に引っ越してきて一週間ちょっと経った今、新しく買った枕が合わなかったのか派手に寝違えて??首と背中に今までにない激痛が走り、おまけに姿勢が悪すぎると指摘を受け、沖縄に来てまず整骨院に通うというスタートをきりましたが(笑)
友達もいないし、勢いだけで飛び込んできてしまったので、どんな沖縄生活になるのかは全く分からないし、また気が変わって本州戻ります!だの、はたまた違う島に行きます!だの言っているかもしれませんが、今の私の思考記録として残しておきます。



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