子どもは天使か悪魔か
今日の学び
ガバナンスとは
オックスフォードの辞書によると、
・統治する職能・機能・権力 : 統治する権限・許可
・分別ある行動:分別ある自制心。
などと書かれている。
昔は、王政国家で王の言ったことが全て。
首を刎ねろと言われたら、すぐに首が飛んでしまう世界。
そこから歴史的変遷を経て、民主主義へと移行して、市民へと力が渡ったわけだけど、今でも「上」の存在が力を失ったわけではない。
政治家が、自分の善悪に従って、社会が荒れないようにコントロールをしている。
ガバナンスの種類
1. Objectification
擬物的統治。
人をカテゴライズして、コントロールする。
例えば、犯罪を犯した少年がいるとする。
年齢っていう枠組みで見て、18歳は子どもに含むとした場合、少年法を適用させる。
子どもと含めないとした場合、大人と同様の罰則を受ける。
このように、上に立つものが下に立つものを区分して、扱いを決める。
2.Subjectification
内面的統治。
例えば、パノプティコン。
真ん中に看守がいて、その周りに囚人がいる。囚人からは看守がどこを見ているのかわからないために、常に規則に従った生活を送る。
精神的な統治といってもいいかもしれない。
子どもとガバナンス
「上」と「下」という関係は、どこの人間関係を切り取っても同じことが起きている。
家庭だと、親が「上」で子どもが「下」。
学校だと、教師が「上」で子どもが「下」。
という構造が無意識下で起きてしまっている。
「上」である大人たちは、子どもをどう捉えているのかによって、ガバナンスの仕方が変わっている。
純粋な天使で、守られるべき存在としての子ども。
邪悪な悪魔で、縛りつけるべき存在としての子ども。
少し、イギリスの歴史と子どもの捉え方に触れておくと。
「小さな大人」として、大人と同等の存在
→「子どもは白紙」で大人が導かないといけない存在
→産業革命で、児童も労働者として使う存在
児童労働をしていた時は、子どもは大人と同様の罰則を受けていた。
そうすると、収容所には子どもが多く集まるようになり、収容コスト削減のためにも子どもの権利の主張を訴え、児童労働の撤廃をおこなった。
そこから、子どもの自立に目が向くようになって、社会福祉などの観点からも「守られるべき存在」へとなった。
ただ、そんな時にジェームズ・バルガー殺人事件が起きた。
当時10歳だった2人の少年が、2歳児の男の子にわいせつ行為や残虐行為をした上で、殺害に至った事件であり、当時のイギリスメディアでは、大騒ぎとなった事件である。
日本でも、須磨の子どもによる狂気的なる殺害事件が起きてメディアを賑わせていた。
「よい親」は子どもを正しく導かなければいけない。それができなければ、親に問題があるという風潮も強かった。(今も強いかもしれない)それもあってか、子どもは大人の監視下でコントロールされるべきという考えも浸透していった。
その一方で、子どもは脆弱で守られるべき存在という考えも依然残っている。
(余談)
イギリスでは、10歳から刑事責任が問われる。国際法では12歳以上にするように促されているが、いまだに変更はしていない。ちなみに、日本は14歳だけど、12歳から少年院に入ることはある。もっというと、今年の4月から上限が20歳だったのを17歳に引き下げ、18・19歳は特定少年という枠組みになったらしい。(知らなかった!)
(余談2)
イギリスでは刃物による殺傷事件が多く、それはギャング同士の抗争の中で起きる。子どもたちがギャングへと傾倒するのは、主に麻薬の運び屋になってしまうところから。その中でも、黒人の被害は白人の3倍となっている。
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自分の中での不明点
・刑事責任年齢は、どのように決められているのか。
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個人的見解
子どもを自分の監視下におきたいという気持ちは、すごくよく分かる。
教員時代、「若い女の先生」っていう立場もあり、絶対に子ども間で大きな問題を起こしてはいけないと思って、ある意味、常に見張っていたと思う。授業においても、よく先輩教員に「子どもたちが主体的にやっているように見せかけて、根底では教師の意図した方向に向かわせる授業がいい授業」と言われていた。
その一方で、守らなければいけない存在という意識も強くあった。
これまた「私立」という立場もあって、毎日のように学校の最寄駅まで見送りに出掛けて、安全を確保していたし、ちょっとの怪我であってもすぐに保健室に連れていっていた。
ただ、子どもは天使・悪魔って二分できるほど簡単な生き物ではなくて。それは、大人でもそうだけど、天使な一面も悪魔な一面も持ち合わせているし、それを「天使」「悪魔」と捉えるかも個人の価値観によって違うと思う。それよりも、問題行動を起こした子どもがいたら、なぜ起こしたのか、根本には何があるのかを考えていくことが大事だと思う。
そんなことを考えていたら、「ケーキの切れない非行少年たち」という本を思い出した。漫画化もされるぐらい注目を浴びた作品で、少年院に入った子どもたちがどうして犯罪を犯したのかを読み解く本になっている。(私も漫画で途中まで読んだだけで、まだ書籍で読めていないのは内緒。)「犯罪者=悪」っていう簡単な公式だけで片付けるんじゃなくて、犯罪に傾倒しない社会作りをしたり、生善説を信じてる私としては、その人が社会的に復帰できる社会作りをしたりして再犯しないようにすることも必要だと思う。
ただ、いざ自分が被害者になったときに、そこまでの配慮ができるかといったら、きっとできないとも思う。
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