教育とセキュリティ:紛争とテロ対策

今日の学び

セキュリティが重視されるようになった経緯
冷戦終結

人道的介入が促進(主に紛争が起きている周辺国への支援:難民など)

9.11アメリカ同時多発テロ
他国と母国の繋がりの危険性

「脆い」国への支援が急激に増える
2007年段階でODAの資金の38.4%は紛争・脆い国へ(2000年時は10%)

外交(Diplomacy)、開発(Development)、防御(Defence):3Dの重視
教育と過激派の抑制に注目

お金の流れとして、
イギリスでは。
・2013年 £100億を平和維持活動に当てるロジェクト発足
・2014年 £19億を脆い紛争地域へと使っている

EFA(Education For All)を掲げているDFIDの支援金では。
・50%は紛争地域の子どもたちへと使われている

人道支援者も多く介入するようになったが、年々その死者数は増加している。

(余談)
USAIDはネブラスカ大学に$5100万投資して、1984〜1994年の間に教科書やカリキュラムを作らせ、その多くをパキスタンに逃れているアフガン難民に配布した。当時、冷戦下だったこともあり、算数の距離と時間の単元では、「銃弾が〜m/秒で飛んでいて、〜m先にロシア領があったら、何秒で銃弾が到着するか。」などの練習問題があった。ただ皮肉にも9.11がおき、ブッシュ前大統領は、テロが起きたのはパキスタンのマドラサ(学校)の教育に問題がある!と発言した。


教育・開発・セキュリティの論説
同じ紛争下にいたとしても、それぞれのセクターによって、セキュリティの捉え方が違う。
例えば、
ローカルの教員:子どもと自分、学校施設の安全
国連:同僚と地域住民の安全
US:兵士と自国の安全

アメリカの国防費:世界の半分を占め、軍人は168万人
国務省は6000人で、そのうちUSAIDは2000人
→いかに、セキュリティに注力しているかわかる。

教育を通じて、自国のセキュリティを強化する方法として
・hate curriculum : 難民をそそのかして、ロシアと戦わせるようなカリキュラムを作成
・学校建設:学校建設する代わりに、情報流してくれ
・女子教育:女子教育という正義をかざして、侵略する
・カリキュラムの再作成:西洋的な価値観を作る
・武装勢力から離れるようにしたプログラムをする
・忠誠心を生み出すようにする

教育や援助は武器となる
例えば、スーダンでは教育援助金が多く入っていたが、そのお金がストップした瞬間に、多くのアメリカ軍人が殺されるようになった。お金を払うようになると、被害も減った。
イラクでは、治安維持・雇用を生み出すために、警察育成をした。マニュアルに沿って厳しく警察官を育成し、銃を持つ責任があるとした卒業のタイミングで、一人ずつに銃を配布したら、新米警察官は次の日には銃の使い方を知らない人に銃を売ってしまったという話もある。


テロへの傾倒の抑制
イギリスでは、7.7同時多発テロが起きて以降、過激思想の早期発見・早期予防に徹してる。
例えば、法的に教員が定期的に研修を受け、過激思想を持っている子どもを見つけ出し、報告する義務を持っている。(ちなみに、生後18ヶ月の子どもから、モニタリングの対象者になる)

2015年に報告された過激思想者とされる人のうち、半分は子どもであった。また、全体数の75%はムスリムだった。

バーミンガムでは「トロイの木馬スキャンダル」も起きている。
2013年頃その地域の学校では、イスラム主義の精神を育成しているという陰謀論が流れ、学校でイギリス軍の職業体験的なものが導入された。
授業で、その職業体験をしている子どもたちの映像を見たが、軍服きた15歳前後の男女が銃を構えたり、インタビュアーに対して「賢くなった気分」と子どもたちが話をしていたりした。

過激思想者を抽出することに注目をされているが、その過激思想に陥る人に問題があるのか、その社会に問題があるのか。

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自分の中での不明点

・FoucaultのThe Boomerang Effect

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個人的見解

なかなか幅広い話ではあって、何を、何から守るのか。
自分や周りの身の安全は大事。
だけど、だからと言って学校の周りに軍人を配置したら、それで安全かと言われると、逆に武装勢力から狙われやすかったり、何より子どもたちがのびのびできなかったり。
人道支援者は、人との距離を詰めるために、時に防弾チョッキをあえて着ないことがある(私は敵ではないですよっていう表現)。そこの自己防衛と人との信頼構築とか、諸々考えると、なんとも難しいトピック。

人道支援者がいいように、自国政府の防衛論に巻き込まれてしまうのも、怖いなと思った。紛争下において、一番大事なのは中立性だから、勝手に巻き込まれて中立性を失い、どちらかの組織にやられたら、たまったもんじゃない。

過激思想の傾倒もね。。過激思想の持ち主って教員に思われたらと懸念して、子どもたちが自由な発言ができないのは、違う気がする。教員も常に、子どもたちの言動に神経をとがらしていたら、良い関係は生まれるはずないよね。

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