架空の子ども
今日の学び
時代と「子ども」の捉え方の変化
時代に応じて「子ども」の捉え方は変化している。
わかりやすいところでいうと、
産業革命時代だと「労働力」
福祉国家時代だと「イノセント」
のように、子どもたちを捉えていた。
少し細かく見ていくと、時代に応じて「子ども」のカテゴリーに部類される人も違っていた。
例えば「子どもはイノセントで守られるべき存在」と捉えたときの「子ども」は誰を指すのか。植民地時代だと、白人の子どもたちは「子ども」という部類に所属でき、守られるべき存在とされていたけれど、そこに黒人の子どもたちは含まれなかった。
「普通の子ども」とは?
小学校入学して、勉強して大学に行って、就職して・・・。
っていう、親や社会の思い描く将来が子どもを作り上げている。
よく英語で成長することを”Growing UP”というほど、子どもは発達するものと捉えられている。
「人間生きている以上、『成長しない』なんてありえない」ともいえるけど、本当にそうだろうか?
そもそも、子どもたちは本当に成長したいと思っているのだろうか?
例えば、ピーターパンはずっと子どものままで、成長をしない。
「成長しない子」は、子どもではないのか?
“Growing UP”じゃなくて、 “Growing SIDEWAYS”じゃダメなのか?
消費される子どもたち
その①
資本主義社会の中で、経済を回す担い手としての子どもたち。
例えば、戦隊モノのおもちゃとか。毎年シリーズが変化して、それに伴っておもちゃも変化して、それを求める子どもたちと買う大人たち。
その②
大人の所有物としての子どもたち。
子どもがいるということで、「家族」「親」となれたとする大人。
例えば、インスタに子どもの写真を載せるのも、「子ども」の搾取とも言えるのではないか。(私も甥っ子の写真載せてた…。)
(余談)
搾取で言うなら、Kazuo Ishiguroの「私を離さないで」の話も、まさにこれに当てはまる。クローンを作って、子どもたちが成熟してきたときに内臓をとる。これは、目に見える子どもの搾取。
大人扱い
「〜歳なんだから、これぐらいできるでしょ。」って言うのは、大人の価値観。
イギリスでもChild Qという問題が起きた。
授業中に14歳の黒人の女の子から、薬物の匂いがするという理由によって、持ち物検査を受け、警察官もやってきて、密室で女性警官員に全身を見られた。そのときに、保護者の同意もなく、まだ14歳の女の子が大人によってかかって検査させられたということで問題になった。
若年売春なども、大人扱いに含まれる。
このときに、「若年」という言葉が使われ、「子ども」とは言われない。
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自分の中での不明点
・Mignonの子ども像
・Foucaultの子ども像
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個人的見解
この授業の前に、スピルバーグ監督の「A.I」っていう映画を見ていたのもあって、「子ども」をどう捉えるかをすごく考えさせられた。
この動画も、「子ども」というものは外で遊ぶものっていう固定概念が根付いているなとも思うし。
「政治的・社会的にみる『家族』」でも書いたみたいに、何かしら「架空の子ども像」っていうのが自分の中であるんだと思う。
身体が小さい・無邪気・よく遊ぶ・わがまま・自己判断できないとか。
それに当てはまらないと「子どもらしくない」っていうのも、なかなか身勝手だなと思う。
授業の中で、「その子」をいかに人として見れるかが重要だよねって議論になって、本当にその通りであり、その難しさもあるなと感じた。
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