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命、のはなし


『できる限り苦痛をもたらさない選択』
ヴィーガニズムを自分の中に落とし込むまで(今も学びの中にいる)正直この言葉はピンとこなかった。人間に生まれてこのような環境に過ごすわたしには暴力や虐待が遠い存在であったから。どこか遠い国の話か、あるいは教科書に出てくる歴史上のお話か。それくらい。自分ごととして捉えられるまでにある程度の時間が必要だったと思う。

遠い国の話でもない、歴史上の話でもない
それは今、この瞬間に起きている暴力や虐待の話なんだ


その時自分の考えることと行動の矛盾に気づいた。わたしは正当な理由もなくわたしと違う種類のどうぶつを搾取していた。当たり前に命を奪って生きてきたこと、その裏側に信じられないほどの苦しみ、痛みが存在していたことを知った。それからアニマルライツ(どうぶつの生きる権利)やヴィーガニズムについて考える毎日が始まった。

まず考えるべき問題は、そのような裏側をなにも知らずに選択をしているということ。重要な”思考”という過程を介さずに、商品を購入したり、食べ物を口に運んだり、友達やパートナーとのお出かけ先を決めたり、ただただ目先の楽しいとか美味しいとかそんな感情だけを信じて行動することが一番危険なことだと感じるのです。そのような行動の裏側になにがあるのかを知らずに、または知ろうとすることもせずに、多くの人がそれを続けて求めて行った結果、自ら望むことはなかった多くの犠牲や苦しみが存在していたとしたら。メディアやSNSにそそのかされそれ、やれかわいいやれ美味しいやれ健康。私の選択や行動が私の本当の思考や意思を伴っていない、そして多くの悲しみや苦しみを生み出すことに加担していた。その真実を知ったとき人はどんな気持ちになるでしょうか。これは消費者だけの問題ではない、目隠しされている真実が山ほどある。

大きく大きく膨らんでしまったこの問題と、生きている限りずっと向き合っていきたい。それが最低限わたしが人間としてできることだと思うから。

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