我が家から「おうたん」と「がーた」がいなくなった話。

 昨日、我が家から「おうたん」がいなくなった。これで我が家から「おうたん」と「がーた」がいなくなったことになる。

「がーた」が最初に現れたのは、上の子が二歳の時。言葉が少し遅めの彼が溢れ出る宇宙語で一生懸命何かを語っていた時期。突然「がーた」は現れた。
 それは夕方だったりお昼だったり、時には真夜中だったりした。突然両手で自分のおなかを抱えながら「がーた!」と叫びだした。


「がーた? がーたってなに? なんかあった?」

 混乱して聞く母に、彼はとりあえず「がーた!」を繰り返すだけ。なお現在自閉症スペクトラムの診断を受けている上の子は、当時「エコラリア」というこちらの言葉をオウム返しするだけ、という時期でもあったので「なにかあった?」と聞けば「なにかあった!」と返ってくる。会話にはならない。そのうちにもどかしくなって泣き出して二つ折りになってしまう。
 そんな突然現れた「がーた」に振り回されたのは数日。
 ある日、母はひらめいた。

「がーた!」
「がーた……がーた? あ……もしかして……「おなかがすいた」⁉」

 上の子の目が輝いた。

「がーた!」

 元気なエコラリア。そしてそれだと言わんばかりの表情。慌ててバナナを出すとにっこりした。ママ探偵、謎を解いた。「がーた」は「おなか「が」すい「た」」の幼児語だった。

 いや分かるかこんなん。

 よく分かったね……と若干引き気味の旦那ではあったけれど、謎語でも意思疎通が出来たことが嬉しかったらしい上の子は、その日から「がーた!」を連呼するようになる。食べ過ぎだ。
 そんなわけでほぼバナナで育った上の子は現在五歳。若干言葉の後れは引きずっていて発音が怪しいけれど、謎の幼児語はいつの間にか話さなくなった。「がーた」が我が家から消えて「おなかすいたー」が居着くようになった。「が」はどこに行ったんだ。
 そして今、下の子は三歳。こちらはこちらで知的障害がある難病児。三歳半にはなるが、言語発達能力は一歳半から二歳ほど。最近ようやく単語が増えてきて、二語文らしきものも話し始めている。
 そんな中、いなくなった「がーた」の代わりに我が家に現れたのは「おーしゃーん」と「おうたん」だった。
 早々にネタばらしをするが、それぞれ「トーマス」と「しまじろう」だ。
 待って。どこにも要素が残ってない。「が」と「た」があった上の子は優秀だった。
「おーしゃーん」と「おうたん」の中に時々「おったん」が混じるが、これは「ノンタン」だ。母には聞き分けが要求された。正しく返さないと怒る。そんなハラハラドキドキの日常は求めていないのに。
「おーしゃーん」と「おうたん」と「おったん」が入れ替わり立ち替わり絵本になりおもちゃになり現れる毎日だったが、あるとき数日で急に変化が始まった。

 まず消えたのが「おったん」。彼は「おんたん」になった。合格だ。分かる。
 次に消えたのは「おーしゃーん」。何故か「パーシー」に後れを取っていたが無事「トーマースー」になった。おめでとうトーマス。ソドー島を無事走れるね。
 そして最後に残った「おうたん」は、しばらく続いた。歯ブラシが「おうたん」だったので、歯磨きだよーというと「おうたん!」とやってくる日々。母も父もすっかり「おうたんで歯磨きするよー」と言う日々だった。
 その「おうたん」が、昨日いなくなった。
 突然歯ブラシを見ていた下の子は「しまじろお」と言った。
 免許皆伝だった。完璧なしまじろうだった。たぶん。


 そうして我が家から「おうたん」はいなくなった。かつて「がーた」がいなくなったように。
 おめでとう、キッズたち。これできみたちの言葉は、母や父以外にも通じる「言葉」になって独り立ちしていく。おめでとう。
 でも、どうしてかなぁ。
 未だにいなくなった「がーた」も「おうたん」も、うっすら自分の子どものようにすら思えてしまってならない。


 消えた言葉だけがいる国があったら、死後なんとなく、「がーた」と「おうたん」に挨拶に行ってしまう気がしている私でした。

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