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できない理由を見つけて無意識に諦めていたくない。

オンライン授業をするべく奔走するイギリス、オンライン授業ができないから学期を延期する日本(一部)

コロナの影響でイギリスから帰国してきたわけだけど、日本で一週間過ごし出してコロナによって変更が迫られた時の対応と考え方の違い(危機感の違いとはまた違う)にとっても驚いている。

もちろんイギリス・日本全国を隅々まで調べたわけではないから”イギリスは”とか”日本は”と一般化するのは正確ではない。ただ傾向や私が見聞きした経験のなかでという意味で書いていることを前提に。

例えば、オンライン授業。イギリスでは対面授業からオンライン授業への移行がするという大学の知らせを受けて、60すぎの教授はオンライン授業を自分で行えるようにやり方を知るべく他の教授とどうにか試行錯誤したそうだ。
そして少人数ディスカッションのためライブで行うセミナーがある前日にはその教授からこんなメールが届いていた。

オンラインの授業をやるのは人生で初めてで機械にも詳しくありません。ただ、オンライン授業をきちんと開けるように色々調べて練習してみました。練習したから大丈夫だとは思うけれど生徒と一緒にそのアプリを使うのは初めてなので、まごついていてもどうぞご辛抱くださいね。

実際にネットワークが悪いと聞き取りにくかったりという細々な不便はあるものはどうにか授業を受けることはできた。

対して日本では一部大学では予定通りの学事でオンライン授業を行うが、私の大学では4月末からの対面授業を予定しているそうだ。この変更の背景には数百人単位で履修する大教室で行う授業をオンラインにするのは難しい、大学や教授がそれに対応できるIT技術が整備されていない、などが考えられる。

はたまたリモートワーク。イギリスでは私の周囲に働いている人がいなかったからあまり実感はできなかったものの、全国的にリモートワークが主流となったような肌感をもった。(留学先の大学はどの施設もスタッフもリモートが要請されていた。)

日本ではリモートワーク可能の企業はリモートに切り替わったと聞く。一方で物流やサービス業ではなく、リモートワークのポテンシャルがある業種でも変わらず、当たり前のように満員電車に詰め込まれて会社で飲み会があれば参加し電車で帰宅する。

その”オンライン授業は現実的ではない”とか”うちの会社は出社してやるのが当たり前”というその現実的当たり前はこの有事でも通用するものとして見過ごしている場合なのであろうか。

ここから見える異なる考え方

この対応の違いから言えることは、イギリスは今までだったらできないことであっても、必要であったらできるように自分が変わる行動を移したということ。

日本では、「でも仕事はリモートではできないから...」とか「バイトのシフト入っちゃってるから行きたくなくても行かなくちゃいけない...」とか出来ない理由を見つけて変わらない自分や現実を正当化している。

正当化してもいいが、それで下手したら死んでしまうのは自分だ。自分の大好きな人たちだ。死というものをどれだけリアルに想像できている人がどれくらい日本にいるのだろうか。

フランス大統領マカロンはこの現状を”We are at war”と戦時状態であると表現している。これはもはやヨーロッパに限った話ではなくなっている。

今そこまで爆発的な感染者・死者が居ない日本にいる人たちは、自分たちが見たい現実になるように自分たちで勝手に現実を歪めていないだろうか。

ピンチはチャンスというが、有事こそ考え方や技術の変化・発展を伴なって数々の危機を乗り越えてきた。

今回のコロナをきっかけに教育のあり方が大きく変わるかもしれない。オンラインと対面での授業を組み合わせることでさらに意義のある授業のアイデアが生まれるかもしれない。

もしくは働き方も変わるかもしれない。今までこの業種はリモートワークは無理でしょ、と思っていた業種もリモートでもできるようにIT整備されたら子育てともっと両立しやすくなるかもしれない。

今コロナがいつ収束するか見通しの通らない、どうしても落ち込んでしまいやすい時だからこそ、今だからこそ変えられる今を諦めずに変えていきたい。

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