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ここだけの進路相談:仕事は探すものではなく、向こうから迎えに来てくれるもの

来週から塾で志望校を含めた進路相談会が始まります。
幾分、生徒とその保護者そして私という三者での進路相談会というのが苦手です。

保護者の方々は、医師や薬剤師など国家資格が必要な職業、公務員、安定した大企業へ就職できる大学への進学を希望することが多いです。でも、本人があまりピンときていない様子で、親が話すのを黙って聞いているなんてこともよくあります。また、親が勧めるから、成績がいいからという理由で、進路を決める生徒もいますが、そうしたケースは、生徒の表情ですぐにわかります。さらには、「親を安心させたいから」なんて健気なことを言う子もいます。

・やりたいことがよくわからない

当然、進学先は検討しなければならないのだけど、中学生はもちろんのこと、高校生でも、「やりたいことがよくわからない」が、ほぼ8割程度じゃないかと思うのです。

さらに、こうした場で困るのは、自分に矛先が向いてきたときです。なぜ、この職業を選んだのかなど、私自身のキャリアパスについて問われることがよくあるのですが、いつも答えに窮して、歯切れの悪い回答をしかできません。なぜなら、まったくのノープランでここまで来てしまったからです。

当然ながら、偉そうなことなんて、口が裂けても言えないのです。

・小森のおばちゃまになりたかった高校時代

だいたい、高校生の時、洋画や洋楽にはまっていた私が、密かに憧れていたのは、「小森のおばちゃま」だったのですから。小森のおばちゃまとは、つまり映画評論家なのですが、“more betterよ”なんてブロークンな英語のフレーズと印象的な外見を武器に、とにかく映画愛を惜しみなく語ることで人気を集めていた方です。もうお亡くなりになりましたが、おばちゃまの唯一無二の個性と自由奔放な生き方は、今でも憧れです。

大半の同級生は、医者、弁護士、教師、研究者など世間体のいい職業を目指していたと記憶しています。さらに、こうした職業に就くには、どうすればいいか明確なルートがありますが、「小森のおばちゃま」になるためのルートなどどこにもありませんでした。
優秀な同級生たちに気圧され、進路指導の先生に荒唐無稽な進路(?)を相談する勇気もなく、適当に進学するというよくあるパターンを踏襲することになりました。その後、色々ありつつも、これまた普通に一般企業に就職しました。

・好きが仕事を呼び寄せる

それでも洋画が好きという点だけは変わることなく、カッコいい俳優さんたちのカッコいいセリフを、ただ、そのまま理解したいという思いに引っ張られて、英語の勉強だけは続けていました。好きだけが原動力です。好きという以外のエンジンはついていません。

もちろん、英語を仕事にするなんて、そんなことは、ただの1ミリも考えたことはなかったです。でも、不思議としかいいようのない偶然がいくつも重なって、英語を教える仕事をするようになりました。最初はひとりで細々とやっていたのですが、ある時から協力してくれる人が徐々に増え始め、加速度をつけて仕事が広がっていきました。


ぜんぜん意図していないのに勝手に道がついていく、「はい、これがあなたの道ね」ってそんな感じです。

そこそこの凸凹道もありましたが、頑張って仕事をしたという記憶がありません。不謹慎ですが、夢中だった、ただそれだけで20年近くが過ぎました。

最近私は「仕事は探すものではなく、向こうから迎えに来てくれるもの」なんじゃないかと思っています。
機が熟したらというか、適切な時期が来たらというか、自分に適した仕事が向こうからやってきます。思いもよらぬところから、きっかけがやってきて「これやってみない?」って感じで目の前に差し出される。その人の好きなこととスキルを掛け算して、仕事が人を選んでいるように思えてならないのです。

こうした理由から、私は、生徒たちに、将来やりたいことではなく好きなことを尋ねてみるようにしています。それから、全員にITのスキルアップとプログラミング学習を勧めて終わりです。
いつの日か、彼らが「ITスキル×好きなこと」で、今までになかった自分だけの仕事を作っていけるはずだと希望を持っているのです。

だからね、中高生の皆さん、今やりたいことが見つからなくても心配しなくていいと思うのです。やりたいことが見つからなくても、好きなことはあるでしょう。その“好き“を大切に育てておきましょう。例え、いっときは食べるための仕事に就かなければならないとしても、好きは必ず道をつけてくれるはずだから。

本音の進路指導は以上となります。

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