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毒親 変な家①

今回は、心に溜まっていた事を吐き出そうと思います。なので全然面白い話ではないし(いつもか)、オチもありません(関西人なのでそこは気にします)
メンタル弱っている方には多分毒にしかなりません

母は私が物心ついた頃からずっと父の悪口を言っていた
「私あの人が大嫌い」
「あの人は頭がおかしい」と、常々言っていた。
父は仕事が続かない。母に言わせるとワガママだから
「今日は行く気がしない」
と言っては仕事を辞める父を母は許せなくて、
「家族がいるのに、よくそんなことが言える
あの言葉を聞くとゾッとする」
それを聞かされて私がどんな返事をしたのかは覚えていない。
ただ、洗脳状態に近いというか母の言うことを100%正しいと思った。
無責任な父親だと。

そして、母に言わせると父は何かいいことがある前だけ機嫌が良くなるとのことだった。
「お天気屋は大嫌い」と母はよく言っていた。
車の買い替えはお天気が良くなる典型的な日だった。
車検の前に車を買い替えるタイプだった父は車を選んでいる時期は上機嫌になって、普段はむっつりと何も話さないのにやたらとどうでもいいことを話しかけてきたりした。

父は車が好きだったので、私が小学校低学年頃よく私を車に乗せてプールに連れて行ってくれた
いつも、テレビクルーが持っているようなどデカく重いビデオカメラを持っていって私を写していた。(当時はそんなものしかなかったので)
プールの後は商業施設でアイスクリームを食べさせてくれた。
普通の父親らしいことだと思っていた。
ある日母が
「あの人が撮っているのはあんたじゃない、あんたを撮るふりをして女の人の水着姿を撮っているだけ。本当に嫌らしくてけがわらしい。そのうち捕まるんじゃない」
と。
両親がいない時にビデオテープを再生してみた。
母の言う通りだった。
何も言えなかったし、見たことも内緒にしておいた。
他にもここには書けない写真などが出てきたこともあった
母の言う通り、嫌らしくてけがわらしい人物だと思った。

母はその大嫌いな人との生活のストレスのほとんどを私にぶつけてきたように思う
「お父さんの稼ぎが悪いから」
と、パートに出ていたが外面のいいタイプなのでパート仲間とは面白おかしくおしゃべりして帰ってくる。
帰ってきて気に入らないことがあるとヒステリックに怒鳴り散らした
「なんでもっと片付けないの?もっと普通の人が住んでるような広い家ならいいけどこんな狭いなのに」
「もう何もかも嫌だわ。貧乏で何も楽しいことなんかないし。あの時Aさんと一緒になれてたらこんな思いしなくてよかったのに」
「Aさん」の話は小さい頃から嫌と言うほど聞かされた。
大手企業に勤めるエリートサラリーマンで、数年付き合ってすったもんだした挙句結婚には至らなかった人。
母は何かにつけてAさんと父を比べてはため息をつく。

Aさんの話を始めると母の機嫌は少しマシになる事がわかっていたので、ヒステリーが始まると私はその場しのぎでAさんの話を持ち出して何とか母を笑わせて取り繕っていた。
その繰り返しだった。
怒鳴りつけられている間は頭がおかしくなりそうだったし、毎日ネガティブな事を聞かされるのは精神的にしんどかった。

母は極端な面倒臭がり屋なので、私が中学生になった頃は毎日文句を言いながらお弁当を作っていた
早朝のパートに出ていたので、お弁当作りは確かに面倒な作業だったとは思う。
父の昼食に関してはもっと酷くてレトルトカレーをレンジの上に置いておくだけだった。
父が毎朝自分でご飯をタッパーに詰めてレトルトカレーと一緒に新聞紙で包んで鞄に入れていたことを思い出す。

夜ご飯は割とまともなものだったけど、ことある毎に
「お父さんの甲斐性がないから、どんなものを出しても文句は言わせない」
と言っていた。
本人にもそのようによく言っていたので夜になると食後に喧嘩が始まる。
私に怒鳴りつけるように、父にも
「甲斐性がない、よくもこんなところに住まわせて。あんたは普通じゃない。」
と延々始まるので、私が4、5歳の頃はたまり兼ねた父がたまに母を殴っていた。
私はそれを黙って見ていた。

母の喚き声は耐えられないものがあるので父の気持ちもわからなくはなかったし、泣いて止めるような純粋さのようなものは元々なく、ただ俯瞰的に殴られる母の姿を見ていた。


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