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真面目なひとと、不真面目なひと。



先日とあるイベントに参加しました。


内容をざっくり言うと

細野晴臣さん好きが集まり、彼を愛でる、という会です。


わたしが参加したのは、趣味でやっているラジオ活動の公開収録。
細野晴臣さんのことが好きなリスナーさんをゲストとして迎えて、彼の作品の中からオススメの1枚を持ってきてもらい、大いに語っていただこう!というコーナーです。



そして終わってみてきづいたことは


わたしの周りにいる大人たちは、なんて不真面目なんだろう。


わたしってなんて、クソ真面目でおもしろくない性格なんだろう。 

というふたつでした。( 決してどちらもネガティブな意味ではありません )


具体的にいうと

・ラジオ活動を一緒にしている相方…とにかく発想が自由で、自分の好きなことに誠実だけど、わたしが真面目に反省しだすと、あくびが出たりする

・ゲストとして参加してくれたおふたり…細野晴臣さんへの愛情を語る表現の仕方がとにかく自由で、誠実で、かつ個性的

・最後にスペゲスとしてでたゲストさん…質問されたことには決して真面目に答えずにユーモラスに返すしだいたい内容がユーモラス


まとめてきづいたことは


誠実さと不真面目のバランスのとれた、大人たちに憧れる!


不真面目というのは、髪の毛を赤く染めるということではないんです!服装を奇抜にすりゃいいってわけではないんですよ!( 不真面目に憧れて、どちらもやってきました!)


そして言動を悪ぶってみても「 あっ。今のはちょっとやりすぎたよな。」なんて焦って

「あっ。えーと、えへへ。今のはこう思ったので、こう言ったのですよ!あはは!」
と、求められてもないのに、真面目な人間っていうのは前言撤回したくなるのです。


先日いた大人たちは、根はもちろん真面目なのだけど、用意してあるレールをひょいっと外れてくるし、思ってもいない言動を自由にしていて、なにより本人が楽しいか、楽しくないか。でその時間をただ、誠実に過ごしているんです。


真面目なひとっていうのは、こうあるべき。こう言ったらこう返ってくるだろう。と予測してしまうのです。あー、面白くない。不真面目でいたい。と思うんです。


っていうか


不真面目でいたいと思うこと自体がもう真面目!

大人になりたい!と思ってるうちはまだまだ子供。

子供に戻りたい!と思ってるうちはもう大人。


なにが言いたいかわからなくなってきたので、まとめると


わたしは真面目な人間として、自分をおもしろがって生きていくしかないのです。


そして不真面目なひととつるんで、おもしろがって生きていくのです。


真面目なひとって、つい自分を責めたりしがちですが、


そんな自分もいいじゃない。


という呪文を胸に、共に生きていきたいですね。


今日も真面目なみなさまと、不真面目なみなさまに、幸あれ。





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