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だれも知らない世界で、恋をして

なぜ、人々は繋がりを求めてしまうのだろうか。
一人が好きな人も中にはいると思うけれど、そんな人でも孤独や寂しさに打ちのめされてしまいそうになることはきっとあると思う。私も一人の時間が結構好きだから、喋らず話しかけられず無心になって好きなことに集中することがとても幸せでストレス解消にもなって。
だけど、たまに布団の中で「私って誰かに必要とされているのかな」って要らない不安をたくさん想像して涙がゆっくり溢れてしまう夜があったりもする。みんな心の中はやっぱりとても弱い。

例えば、
まちですれ違った人と不意に目が合って、なんか目を逸らしたんだけどまた気になってチラッと見て、そしたらあっちもおんなじタイミングで見てきて、なんか不意に笑っちゃって。こんにちはとか言って、とりあえず話しちゃったり。
そしたら波長も空気感も趣味も思考も合うなあって感じで、胸がザワザワっとしてきて。
「また会おう」「口約束は嫌だから今、日にち決めよう」って言われて無理やり帰る前に次に会う予定立てて。そしたらお別れした瞬間からもう会いたくってしょうがない気持ちが止まらなくなっていて、何となく気がついていた恋の予感が確信に変わる、、、。

そんな運命の出逢いがあったとしたら。
それはふたりだけの世界の話。だれも知らない世界の話なんだよね。
もしかしたら夢の話かもなんて。

ふたりが思い合っていればそれで充分。なんにも繋がりがなくたってふたりだけの大事な記憶がそこにあればそれでいい、それだけでいいって思うのに。
頭では分かっているのに、どうしても心が言うことをと聞いてくれないんだよね。

ふたり以外だれも知らない気がつかない世界で、恋をして。
それってどうしたら私の今まで生きてた世界に戻って来られるんだろう。どうやって、あなたが本当に同じ世界で生きているってことを知ればいいんだろう。何度会っても、さよならした後はモヤを通り抜けて戻ってくるような感覚が残ってしまう。


繋がり合うこと。
繋がり合おうとすること。
これは、他人を知ることにも繋がるし何より本当の自分を知れる気がする。
でも、その前に相手を信じなきゃいけない。知りたくないからって目を瞑っていたらきっと、ひとりぼっちになってしまうから。

繋がりを求めて、目の前にいる人を信じる。
そしたらきっとありのままの自分がこんなに自信のないことに気がついてしまうと思う。泣きたくなって、静かな痛みがやってくると思う。ゆったりと、でも着実に時間は流れていることを感じて、全てを真っ白にしたくなるかもしれない。
でも、だからこそ手を取り合って寄り添いあって生きていく日々をとにかく続けていくのではないのだろうか。
気がついた時には、また新しい繋がりに迷い込んでいる。その繰り返しなのかもしれない。

だれも知らない世界で、恋をしてしまった時。
そんな時は、いつも通り目の前の相手を信じることから始めてみればいい。それで泣きそうになっちゃったら泣いてしまえばいい。
そうやって歩み出そうとしたことや、歩み始めることが出来たそれは、結果自分の輪郭をはっきりとさせてくれるから。


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