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へんな飲み会よりひとりで行く松屋が100倍マシと思っていた人間が職場飲みで魂の救済されたよ日記

タイトル以上でも以下でもない気がしはじめたが、とりあえず走り出してみる。

飲み会のあとは松屋でキムカル丼を飲み下す。
それがルーティンだった。
会食とか、まだ世の中が解放的になりかかる前の飲み会だとか、
特定パートナーができる前のマッチングアプリ経由大量面談とか、
あー今日気を遣ってマジ疲れたなという日の帰り道に行う儀式としての松屋。
お偉いに認知されたい、気が遣えないやつだと思われたくない、
でもなんとなくでお偉いの横に配置されるのは多分女だからだろうなと感じて気持ち悪い、
一次会で帰る人の自分の身の振りとか映り方についての考えのなさが羨ましい、
でも自分が過去早く帰ってみたときの居心地の悪さはもう感じたくない、
自分の呪いの部分を下の世代に再生産したくないと思いながら
自分以上にやって当然だと無意識に思ってしまう自分がダルい先輩でしかなくて気持ち悪い、
もっと軽やかになりたい、物理的にも軽やかになりたい。
そう思いながらキムチとカルビと白米を喉に押し込むと胸にある種の清涼感が生じるので
なかなかやめられなかった。当然ものすごく太った。ざっくり10kgくらい。
そんな役割のために生み出された食事じゃないのに、矛盾に対する自傷のように用いられることにも毎回申し訳なさを感じたりもした。
飲み会で汚れた魂を清めるために食べてるから聖なる食事なんだ、聖杯だ、と言い聞かせては5分で食べて帰路につく、そんなことを繰り返した。

こないだの金曜日は、そんな人間が職場の先輩と飲みたくて飲みたくてなんて誘おうか
何を飲もうか何を食べようかで頭がいっぱいの状態異常だった。

金曜どころか、月曜から毎日酒で意識を飛ばして眠らなければいけないほど
脳がどうにかなっている日々を送っていた。
普段はめったに酒を飲まず、躁鬱のためのいくつかの薬と睡眠導入剤でなんとか生活をやっているのだが
マジ、酒でしか解決できん、それも日本酒でしか無理という強迫観念に近い状態。
酒はそれほど強くない。普段飲みに行ってもせいぜい2〜3杯しか飲めない。
片足抜けかかった今振り返ると猛烈に悪い躁フルスロットルだなという感じだった。
鬱転だとタスク1つこなすだけでどうしようもなく時間がかかるがそういう感じでもなく、
とにかく怒り一辺倒で頭の前側が強烈に熱い感覚が1週間続いていた。
子供のときに読んだグリム童話の挿絵で見た、焼けた炭のスリッパを履かされて永久に踊らされる
悪役の状態に近いかもしれない。
自分ではコントロールできない、終わりの見えない激烈な感情によって踊らされ続けるような感じ。
業務中だろうが、手が勝手にやばい、この熱を収めなければ、とソラナックスを飲むべくピルケースを開けてしまうのだがその行動すらも半分無意識でやっているというか。

この不調は仕事起因のものだった。
私の脳はバグっていて、その案件の重要度は正直彼氏とトントンくらい大事だったのだが
心から好きなクライアントかと問われると決してそうではなく
プライベートでそこにまつわる情報を見聞きすると胃液がせり上がってくるくらい、もしくは
向き合い先の担当者に対して人として尊敬できるかと言われたら、本人を目の前にしたとしても
無言になってしまいそうなくらい、愛はなかった。
あるのは執着だけだった。
そもそも仕事の相手、お金をいただいているお客様に対して
愛と執着を取り違えるみたいな次元でものを捉えている時点で外されてもおかしくない担当者だと
理性部分では感じるのだが、再三言うように私の脳の認知機能がおそらくバグっているので
恋人と同じ感覚で仕事について受け止めてしまう節があった。
人格としては嫌いだし無理だけどここを頑張っていれば上の人が認めてくれるから。事例を作れるから。
そことやれてる以上感情と仕事を切り離して仕事ができている大人だと自分で思えるから。
そういう理屈でしがみついていた。取り組んで離すな、殺されても離すなマインド。

早い話が、そうまでして重い女になっていたにも関わらず
別れ話をされたので、躁転スイッチをドカンと押されて荒れ果てはじめたというわけだ。

いろんな関係各所のコンディションが悪くなっても
自分がハブになって取引継続できたという自負があったので、自分が切られるのは恩仇すぎるという感情、直近その関係各所がキナ臭い動きをしているなという直感通りの展開になってしまったこと、
それを自分が防げなかった悔恨。
そもそも数字の責任を負うポジションじゃなかったのに、重い女状態になったゆえに自社で請負うところはまるっと引き受ける形になって、最後の方は完全に口出せる領域以上のところまで介入してやっていた。
それでも相手には目の前の対応に終始しているだけと捉えられたようで、もっとああしてほしかったこうしてほしかったとテンプレ別れ話のような文句を聞き、それでおしまい。

理性部分では至らなかったところは理解したし、政治的にも立場的にももう自分にはどうすることもできないこともわかっているし、分別ある大人なら持つことを期待される責任感をもって
自責というケーキ型のテンプレに自分を流し込んで考えるべきなんだ、と考えてみたけれど
私は重い女だから、理性の型をとっぱらって発狂するのに時間はかからなかった。

毎日日本酒で意識を飛ばし、人目がないと人の形を保てないので出社し、
切られることについて毎日嫌な進捗を受け取っては聞いた端からピルケースを開けてソラナックスを飲み下し、
会社で関係各所への呪詛を唱えつづける日々。
自分も苦しくてたまらなかったけれど、こうして文章に起こすと街宣車並に迷惑千万×恥多すぎ人間だ。
というか、前職でも限界メンタルのときに社内の担当を外されて処方薬爆飲みして迷惑女だと当時の社長に吐き捨てられた時と、行動パターンが基本的に変わらないことに進歩のなさを感じてそれもまた絶望する。

それが続いた金曜日、数字を落とすこと確定の戦犯かつ呪詛唱え人間になり始めて数日、
もう職場の人から見捨てられてもおかしくなかったのに、私は職場の人と飲みたいと願ってしまった。
そして、奇跡的に飲みに付き合ってもらえた。
勿論メインの名目はその件ではなかったし複数人だったのだけれど、
こんなに一緒に飲んでもらえることが嬉しいなんて思ったのは初めてだった。
どこまでも自分本位だと感じる。恥が多すぎるのだが懺悔と清算のためにこのまま書き残す。
なんだかいっぱい飲んだ気がする。普段の倍は多分飲んでいる。
食べたジンギスカンも飲んだワインも、自分の疑似失恋話を聞いてもらえる嬉しさでより進んだような気がしないこともない。
そもそもジンギスカンに対して品評する舌を持ち合わせていないし、ラム肉の臭みがあるかないかだけでしか判断したことがない気がする自分が美味しいと言っても誰にも信用されないだろう。
臭みの有無だけで捧げた生命の価値を判断されてしまうラムがあまりにも不憫だ。
焼肉と比べて圧倒的経験不足による判別のできなさ。
それでも美味しかったと言ってしまおう。
自分が褒めることで逆にdisにならないのかと心配になってきたのだが全然disではなく、
素直に褒めたいのに褒めると「美味しかった」しか出てこない自分の表現の稚拙さがしんどい。
とにかく肉の良し悪しとかはわからないけど、理由はわからないけど美味しかった。


ジンギスカンをお腹におさめ、カラオケでひと騒ぎし、タクシーを拾いやすそうな大通りまで出ようとしばらく歩く。
ぽつりとこぼした呪詛が出てはまた止まらなくなって、先輩たちを立ち話に付き合わせる格好になってしまった。
次第に感情100%の吐露になっていった。あんなに尽くしたのにとか、フラれた女のテンプレのやつから、だんだん沼の底から助けを求めるような言葉へ。
先輩方はただただ優しく話を聞いてくれた。
申し訳なさもあるが、そこで付き合って話を聞いてくれたことであとからここで魂とか呪いの8割くらいは救済されたな、と思えた。
躁が収まったかと言われると微妙だけれど、渦巻き続けた怒りの感情はだいぶそこで鎮静させてもらった。

翌日気づいた、松屋でキムカル丼を食べ直してなかったことに。
自傷的な食事をしなくても、飲んで話を聞いてもらうだけで気持ちを落ち着けられたことに。

このことは自分にとってなかなか革命的な出来事、
なぜなら飲み会だけで気持ちが満たされたことがなかった、むしろ飲み会があることで
気持ちを満たすことを阻害された(がなんだかんだで行かなくちゃ)というこれまでの前提があったから。
なんで毎週同じようなメンバーで飲んで楽しいのか、本当に意味がわかっていなかったのだけど
人間が他人と飲むということは慰めと祈り、私がずっと松屋でしてきたことと同じ可能性が高かったのだ。

まだこれは現在進行系、金曜日の話もまだ2日前の話なので
また平日が来たらどうなってしまうかわからない。怒りが大復活するかもしれない。
結局酒の力に頼ってしまっている。この日記も日本酒を飲みながら書いているので
おそらくおかしなところが盛り沢山だろう。断薬できているわけでもないので根本解決ではない。
それでも、酔っ払って弱みを出すことを厭わず助けを求めるという
これまでにない行動を覚えることができたので、この生活をひとつマシにできる手がかりを掴めた気がしている。

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