松岡正剛の千夜千冊

第一夜は、中谷宇吉郎の「雪」だったんだ。
2000年2月23日とある?
僕の誕生日の前の日、天皇誕生日だ。
冒頭が以下の文章で始まる。
「床屋に行ったあとに頭をスウスウさせながら書店の片隅で岩波新書の新刊を手にとり、高校生だからさんざん迷ったすえにやっと一冊を手にするくらいなのだが、それでもその一冊を紙の爆弾のようにもち抱えて部屋に戻ってページを開くまでの出会いの緊張というものは、いまでも思い出せるほどにどぎまぎするものだった。」
そういった感情から突き動かされて読むのだろう。
こんな文章を書いてみたいものだ。
なぜ、千夜千冊の最初を見てみたかったというと、「本から本へ 千夜千冊エディション」というのを拝見したからだ。


こちらの冒頭には、正法眼蔵について書いてある。
しかも、本山版正法眼蔵なんてのも読んでいる。



こういう人の頭の中はいったいどうなっているのか。
追いつきたいけど追いつけない。
今の3倍のスピードで読んでも追いつけない。

松岡正剛の「多読術」でも読んでみるか?


いや、巷にある「文章読本」をどんだけ読んでも、文章がうまくならないのと同じように、多読術をいくら読んでも、読者速度はあがらいだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?